とんま天狗は雲の上

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耐震強度偽装事件判決に見る不安社会と行政への過度な期待

 愛知県で耐震強度偽装事件の民事賠償訴訟の判決が出された。愛知県半田市のビジネスホテル事業者が、耐震強度偽装によりホテルの再建築を余儀なくされたとして、姉歯建築士を紹介したコンサルタント会社・総研とその社長の内河、そして建築確認にあたり偽装を見逃した愛知県を訴えていたもので、名古屋地裁はホテル事業者の訴えを全面的に認め、耐震改修に要する費用(建替までは不要だったと判断)から建設会社が負担した費用を差し引いた約5千7百万円の賠償を三者に求める判決を行った。
 事件発覚直後から、ホテル事業者のお涙頂戴的な一方的被害者を装う姿があまりに嘘くさく、個人的感情からは、コンサルタントの甘い儲け話にうかうかと乗ったホテル事業者の責任もあるだろうと思っていた。しかし、裁判所はそうした心証は判断に入れずと言うべきか、ポーズに乗っかったマスコミのお涙頂戴ドラマに安易に乗ってと言うべきか、専門的知識の乏しいホテル事業者の被害は行政が救済すべきという原則論を適用し、県側敗訴の判決が出された。
 県側は、建築確認は建築基準法に基づき行われる行為であり、確認内容も法で規定する範囲に限ると主張したが、行政はより幅広く住民の安全を守る責務を負うべきである、というのが裁判所の判断だ。
 従来、行政はタテマエでは社会の安定や繁栄に不可欠な組織として祭り上げつつも、ホンネでは民間の経済活動の邪魔をしないよう、うまく立ち回ることを求めてきたように思う。
 しかし、高度成長が終わり、バブルも崩壊して、今や日本は、将来への希望が描けず、未来も読めない不安社会に直面しつつある。耐震強度偽装事件を発端に、住の安全、賞味期限の偽装や輸入食品などの食の安全、さらには不安定な雇用形態など、昨今、我々の生活を脅かす不安が社会に蔓延している。こうした中で、こうした不安を行政にぶつけ、タテマエではなくホンネで不安解消を行政に求める風潮が起きてきた。
 もちろん、それが本来あるべき行政の姿であったかもしれないが、これまでは「法律に則した以上のことはするな」と煙たがられた存在が、法律以上に住民の不安解消のために働くことを求めるようになってきた。不安社会における行政への過度な期待を反映した判決だと感じた。