とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

充たされざる者

 Amazonで注文をした際に、文庫本なのに1575円もするなんて、何て高いと思ったが、送られてきてまたびっくり。950ページ近くにもなる分厚い装丁に驚いた。まるで建築基準法の法規集みたい。
 読み始めて内容にまたびっくり。話がどんどん展開して、こんがらがって、さっぱり先が読めない。人間関係も時間経過も地理も、不合理でこんがらがっている。
 主人公は世界的に有名なピアニストらしい。中規模な都市へ演奏旅行にやってきた。しかしスケジュールを伝えるべき現地のアテンダントが「大丈夫です。お任せください」と言うばかりで本人にさっぱり伝わらない。部屋まで荷物を運ぶポーターから話を持ちかけられる。娘に会ってやってほしいと。
 旧市街地のカフェにいるという娘に会うと、二人は長い間別居して暮らす夫婦ということになっている。ホテルの支配人にはピアニストを目指す青年がいて、支配人一家の確執に巻き込まれる。
 演奏会では廃人同様になった元指揮者が復活してオーケストラを演奏する趣向だという。この指揮者を巡る市民たちの抗争。指揮者の老齢な元妻との確執。一人の依頼者の話を聞いて、それに対応しようとすると、さらに別の依頼者が現れ、物事はさっぱり前に進まない。時間ばかりが過ぎ去る。
 そもそもスケジュールがわからない。地理がわからない。田園地帯を長々と運転した先にたどり着いたホールは、出発したホテルの裏で廊下でつながっている。
 登場人物の会話が長い。言葉を挟もうとしても挟むことができない。殊更に長くするために長くしているような会話をひたすら読んでいくと、さらに頭は混乱する。心も乱れる。イライラと掻き乱される。
 実験的な小説だという。これまでのイシグロ作品のつもりで読み始めたら、完全に嵌った。精神的にしんどい時に読むべき本ではなかった。だが、描かれる夫婦愛やすれ違い、人間観察はいかにもイシグロらしい。最後はバスの後部車両に設けられたビュフェで朝食を取りつつ、正常な生活を夢想する。この狂った世界から戻れるのだろうか。いや、この世界は狂ったままなのだろうか。

充たされざる者 (ハヤカワepi文庫)

充たされざる者 (ハヤカワepi文庫)

●わたしがこんな旅を続けなければならないのは、そう、いつめぐり合うか分からないからなんだ。つまり特別な、とても大事な旅―わたしだけでなくすべての人、この全世界のすべての人たちにとっても、とてもとても大事な旅。(P384)
●翌朝は早く目が覚めたので、二人分の朝食を用意した。彼女はいつもの時間におりてきて、どちらも不機嫌な顔を見せることなく挨拶を交わした。彼はきのうのことを詫びようとしたのだが、彼女のほうが、二人とも驚くほど大人げなかったわねと言って、その言葉をさえぎった。それから二人とも、・・・いやそのあと何日も、二人の生活には何か冷たいわだかまりのようなものが残っていた。そして何ヶ月かたってふと気づくと、二人はずっと長い時間、あまり口をきかないようになっていた。(P637)
●「あなたは毎回そう言うのよ。世界中から電話をかけてきて、同じことを言うの。いつだって、この段階になったときに。あの連中がわたしにくってかかってくる、わたしの正体を暴きにくるって。そのあとはどう? 何時間かしたらまた電話してきて、あなたはとても冷静で、自己満足してるじゃないの。わたしがどうだったって尋ねると、あなたはそもそもそんなことを訊かれるのが意外だって口ぶりで言うのよ。『ああ、うまくいったよ』って。(P781)
●あなたの傷、あなたのばかばかしい小さな傷! それがあなたのほんとうの恋人なのよ、レオ。・・・わたしにしても音楽にしても、あなたにとっては、ただの慰めを求める妾にすぎません。あなたはいつだって、あなたの唯一の恋人のところへ帰っていく。・・・あなたの傷なんて、何も特別なものじゃありませんわ、ちっとも特別なものじゃありません。この町だけにだって、もっともっとひどい傷を持ってる人がたくさんいるのを、わたしは存じています。それでもあの人たちは一人残らず、あなたよりずっと立派な勇気をもって頑張っていますわ。自分の人生を生きています。何か価値ある存在になっています。(P874)