とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

サッカー批評56

 今号の特集テーマは「日本サッカーの『常識』を疑え」。冒頭にボールを蹴る本田の2枚の写真が掲げられている。フォームは全く変わらない。違うのは髪の色だけ。常識に囚われていた時期の本田と振り払った本田だと言う。それが正しいかどうかはさておき、日本サッカーの「常識」をテーマにしたら、けっこう面白い記事が多く並んだ。
 特に先日、川崎フロンターレの監督に就任した風間八宏のインタビュー記事は興味深い。「攻撃の簿ジョンを持つこと」そして「人を外す」ということ。他にも「バルセロナの常識=日本の生きる道?」「フィジカルの常識を疑え」「暑さはサッカーの敵なのか?」「日本と海外、正しいのはどっち!?」「異端の天才・金田善稔の『超常識』」など、目にうろこの論説も少なくない。
 またガンバ元監督、西野朗のインタビューも興味深い。「監督は麻薬」だそうだ。後は、今年1月、タイリーグを最後に引退を表明した財前へのインタビューかな。中田英寿との比較。思考型と感覚型。財前のプレーをもっと見てみたかった。

●相手がボールを持った途端に生き生きとするチームはたくさんあるでしょう。でも(そういうチームは)ほとんどの場合、自分たちがボールを持つと、途端に(勢いが)止まってしまう。守備というのは大勝がいるのですごく考えやすいけれども、攻撃っていうのは創作力が必要になってくる。(P028)
●相手がパスに受け手をマークしているように見えても、受け手が人を外していたら、そこにどんどんパスを当てていいということ。・・・相手が近くにいるだけで「パスを出せない」という感覚になってしまうと、スペースができやすいサイドに”逃げる”ことが習慣になってしまう。だが、それが思い込みにすぎないことに気がつければ、どんどん中央から攻めることが可能になる。(P031)
●国民性によるプレースタイルの違いは、その国の少年にサッカーボールを与えたとき、彼らがどんな遊びをするかでだいたいの傾向がわかる。ドイツの町中で筆者が多く見かけたのはシュートゲームだった。・・・また、オランダの場合は、お互いの足元に強烈なボールを蹴り込み、トラップでコントロールできなかったら負け、という遊びを楽しむらしい。日本では4対2にように、ゴールを使わない状況でパス回しを楽しむこと、あるいはリフティングなどが多いだろうか。(P057)
●財前の圧倒的なパスセンスやサッカーセンスは、・・・体で感覚的に習得していったものだろう。この点で、思考型で論理的に選択していった中田英寿とは明らかにタイプが異なる。・・・中田のパスが「この場合ここに出すべきである」という論理的整合に支えられていたとすると、財前のパスは「今ここにこのパスが必要だ」と言う感覚的必然性から生み出されている。(P113)