とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

争うは本意ならねど

 我那覇のドーピング事件がCASの裁定の末に「冤罪」であることが認められたのは2008年5月27日。「ドーピングにより6試合の出場停止」処分が下されてから1年が経過していた。この事件について知ってはいたが、その内実までは報道だけではよくわからなかった。「オシムの言葉」や「社長・溝畑宏の天国と地獄」で迫真のルポルタージュを書いてきた筆者・木村元彦が、フロンターレのチームドクターや処分撤回等に超人的に奔走したレッズやサンフレッチェ等のチームドクター、我那覇の冤罪はらしを担当した弁護士、ちんすこう募金に奔走した沖縄時代の先輩やサポーター、そして我那覇自身はもちろん、Jリーグ側の取材も重ねてその内実を明らかにした。まさに衝撃のルポルタージュだ。
 そして読み進めるほどにJリーグの体質、JFAの体質に怒りがこみ上げてくる。いや全員ではないし組織そのものでもない。組織を牛耳る川淵元日本サッカー協会キャプテン、鬼武元Jリーグチェアマン、そして青木元ドーピングコントロール委員会委員長に。筆者も文中で、「これは「青木問題」であり、「鬼武問題」であり、「川淵問題」である」と書いているが、組織と仲間の保身のためには選手の健康さえ踏み台にする競技組織があっていいのだろうか。
 川淵名誉会長の横暴ぶりはこれまでも「サッカー批評」誌等で多く見てきたが、競技組織の最高責任者が選手を踏み台とする。そんな認識しかないことには全くもってあきれるしかない。Jリーグを立ち上げ、現在の日本サッカー飛躍の土台を作った川淵氏の功績は認めない訳ではないが、結局それはサッカーのためではなく、自分自身のためだったのか。
 それと同時に、チームドクターたちの献身的な働き、沖縄の人たちの純朴さと努力、心あるJリーグチームの経営者たち、元Jリーガーの国会議員、そして多くのサポーターたちのサッカーを愛する気持ち、職業倫理の高さ等には心を打たれる。
 そして本書を読みつつ、これはまさに原子力ムラに通じる話だと思った。全国の原発フクシマ原発処理で働く多くの労働者、そして被災者や国民の負担を踏み台に、面子と利益と保身に奔走する人々。これは日本人特有の行動なのか。だが一方でそれに敢然と立ち向かう人々がいる。サッカーもそうしたサッカー愛に支えられている。

●なぜ出自も所属も異なる31人ものドクターがいっせいに立ち上がったのか。その理由を究明しようとするよりも組織の名前が新聞で批判されることの方に関心が向いていた。そんなチェアマンにとって、31人のドクターたちは単なる反逆者でしかなかった。Jリーグの最高責任者である鬼武は、・・・本来、競技団体が何を置いても守るべき選手の人権に対する意識が希薄で、その真実を知ろうとする意思と、名誉を傷つけられた者を思う想像力がそこには欠如していた。(P145)
●「家族のため、すべてのスポーツ選手のためにドーピング違反の処分取り消しを求めて提訴をします。しかし、決してJリーグと闘うことが目的ではありません。処分が取り消された暁にはその流れでJリーグや、この件に携わった人たちの責任を追及するようなことは決してしたくありません。(P202)
●もうこの2007年のドーピングをめぐる事件を「我那覇問題」と記すことに終止符を打つべきである。何となれば、責任をはっきりさせるならば、これは「青木問題」であり、「鬼武問題」であり、「川淵問題」であるからである。(P266)
●我那覇Jリーグと闘ったのではない。Jリーグを救ったのである。それも他の人々を巻き添えにしたくないがために敢えて孤独を抱え込み、たったひとりで何千万円もの私財を投じて。(P295)