とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

双頭の船

 池澤夏樹の小説は乾いた明るさが心に沁みる。しっとりとした情愛と空元気。土と水と草と動物。生きとし生けるもの。
 動物と心の通じる男、ベアマンと千鶴との交歓から話は始まる。そして融通不断な若い自転車整備士、トモヒロを主人公につとに話は進展する。中学時代の恩師、風巻先生の勧めで東日本大震災被災地を巡る双頭のフェリーに乗り込む。船上でトモヒロは放置自転車を修理して被災者に渡すボランティアを任される。
 消防団の手伝いをしていて被災した若者、才蔵。動物と会話する獣医師、ヴェット。金庫ピアニストと呼ばれた解錠師、土方。そして千鶴と続々と若者たちが集まってくる。次第に成長する船。不屈の壮年、荒垣が乗り込んで、仮設住宅が建設され、大工の及川さんと熊谷さんが再婚し、家を建てて商店街ができ、船はさくら丸になる。
 そして盆踊り大会の日、フォルクローレのバンドがやってきて、ハルメンの笛吹きさながら、乗船していた死者たちを連れて出ていく。心に穴が空いたようになった乗船者たちの心に、荒垣が世界漂流・国家独立を吹き込む。まるでドンガバチョのよう。
 二分される乗船者の心。だが、ベアマンが土の重要性を訴える。荒垣たちは第一小ざくら丸に乗って、ひょっこりひょうたん島風の国歌ともども、大洋に乗り出し、残された者を乗せたさくら丸は接岸して、さくら半島になる。
 さくら丸は突然死んだ者、生き残った者、それぞれの被災者を慰め、癒し、現世に繋ぎとめる鎮魂船だ。そして一部の者は未来をめざし旅立ち、多くの者は現実を受け入れ、現世とともに生きていく。禊と浄化の船である。被災者にはそうした回路が必要だし、小説はそうした力になれる。「想像ラジオ」と並ぶ上質な鎮魂小説だ。

双頭の船

双頭の船

●すごい力がここに襲いかかって、大きな波が来て、ぜんぶ壊してしまった。平らになった地面はまるで神話の舞台のように見えたけど、そこではまだどんな神話も生まれていない。この空っぽの場所の至るところに草の種みたいな神話の種が埋まっているのが見える気がした。いつかそれが芽を出して伸びる。その種の一つ一つを亡くなった人たちの魂が包んで養って育てる。(P21)
●「方舟ですよ」と近くにいたヤザマキが言った。船長はヤザマキをじっと見て、ちょっと力の入った声で答えた―「洪水はもう終わってるんだ」(P80)
●二百人が働いているのは、海に侵略された最前線を記憶するためにその線に沿って桜を植える、というプロジェクトの現場だった。何年かたったら一列に並んだ満開の桜が「ここまで波が来ました」と人々に告げる。・・・誰か家をなくした人が言ってた―「津波っていうから波が来るんだと思っていたけれど、そうじゃなくて海がそのまま来たんだ」って。(P94)
●いるはずの人がいないということが自分の中でどうしようもなくなる。・・・変わったのはこの船に来てから、いえ、船に来られると決まってからです。風船の中に誰かが息を吹き込んだみたいに私は元気になってよく動き回っていました。子供たちが生き生きと走り回るようになったのはわかるけど、自分の場合はなんでこんなに変わったのか、よくわかりません。これはたぶん魔法の船なんだと考えることにしました。(P150)
●みんな、ちゃんと向こう側に行きましょう。こっちに気持ちいっぱい残っているのはわかる。でもやっぱり行かなければならない。そう言いたくて今日ぼくたちはここに来ました。向こう側に行ってもこっちは見えます。声は掛けられなくても気持ちは通じる。だから行きましょう。(P210)