とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ノーライフキング

 「想像ラジオ」を読んで、いとうせいこうを思い出した人も多かったのではないか。「ノーライフキング」も発行当時、話題になっていたことは覚えている。でもその時は読まなかった。先日本屋に平積みされていたのを見た時、今こそ読んでみようと思わず購入した。
 書き出しは児童向け小説かと思った。最後まで小学4年生のまことが主人公で、登場する大人はまことの母親まゆこと謎の情報探偵・水田くらい。あとは、子供たちからディス・コンとゲームソフト「ライフキング」を取り上げようとする中年TVタレントや塾の講師ペンタゴン、早々と亡くなる校長など脇役に過ぎない。
 ゲームの世界に入り込み、ノーライフキングとの戦いに生死を賭けて闘う子供たち。大人はそれが理解できず、子供たちからゲームを取り上げようとするが、必死に抵抗し、戦わなければ世界が終る、死が世界を覆うと真実に理解する子供たち。そこではゲームの世界が現実世界を侵食し逆転してしまっている。そして最後は・・・。
 「たくさんの子供たちがあきらのようにすべてを忘れ、元のように遊び始めた。」(P202) だが、けっして子供たちが悪夢から覚めたわけではない。悪夢、いやノーライフキングは子供たちの前に現われ、そして支配したのだ。「いつか必ず、無機の王は彼ら一人一人を召しかかえにくる。」 それはいったいどういう意味だろうか。あの時、ノーライフキングが埋め込んだ子供たちへの記憶は、いったいいつ起動を始めるのか。いや既に起動しているのか?
 その答えは、いとうせいこう自身が「いまだに謎であり続ける最初の作品です」と言っている。そう、わからないのだ。われわれはノーライフキングが埋め込まんだ呪いの時代を生きているのかもしれない。

ノーライフキング (河出文庫)

ノーライフキング (河出文庫)

●社会に照り返された途端に凍りつき完結し、まるでつまらないものになってしまったそれまでの噂たち。しかしノーライフキングは、逆だったのだ。それぞれの噂という物語がアクションを起こし完結する度に、よりリアリティを増し、生き生きとあるいはモゴモゴと動き始め、子供たちを追い詰めた。(P54)
●噂だのデマだの言うけれど、まことにとってそれらはすべて現実的な問題なったからだ。最初に嘘だと思っていても、話をするうちにそれは必ず本当になる。頭の隅でどんなにバカにしていても、ヒソヒソ声の中でそれらは真実になっていくのだ。(P105)
●すべての噂に共通するのは死のイメージです。個人の死を鋭敏に感じることができない日本の子供たちですが、彼らはそのかわりに全員一致の大きな死を感じ取ることだけはできるはずです。あるいは、死にながら生きるライフスタイルの確立? そして、それに慣れ、適応することが彼らには必要なのでしょう。新しい人々としてね。(P117)
●リアルか、と聞かれれば風景すべてがリアルだ。時々、まことたちをダミ声でからかうピンク・サロンのおじさん。噂のおかげでつぶれかけたバーバー・ミラノ。そして、遠くからもよく見えるスーパー、ダイニーズの大きな看板。それらすべてはリアルとしか言いようのないものだ。”リアル”とは一体何なんだ。(P165)
●トラックの下にエンジン部分を構成していた機械の部品が散らばっていた。まことはそれを拾い上げた。・・・その小さな部品は温かかった。その部品内部の精密さこそが、そして生きていない冷たさこそが、何か会話することを可能にする温もりをまことに感じさせた。(P191)