とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

原発ホワイトアウト

 昨年の秋に話題になって、最初は触手が伸びなかったが、それでも一応読んでおこうかと図書館で予約をしたら、既に20数人待ちだった。その後、なかなか順番が回ってこない。と、若い友人が本書を読んだとブログに書いていた。彼から借りてようやく読み終えた。
 はっきり言って政治・経済小説としてはレベルが低い。面白くない。著者略歴に「国家公務員1種試験合格。現在、霞ヶ関の省庁に勤務。」と書かれていなければ、これほどの話題にはならなかっただろう。本書で書かれたようなことが日本の官庁や政府の中枢で日夜繰り広げられていると、多分これまでも同種の娯楽小説ではいくらでも書かれていたように思う。それが現役の官僚によって書かれたことであたかも内実を披露したようで話題となった。
 でも多分ここまで計画的に策略し行動している人物はいない。その時々にさまざまな思惑が渦巻き、動きが起こり、また途絶え、偶然が支配し、そして現実は動いていく。
 この小説では中国の工作員が在日朝鮮人を操って、原発から送られる鉄塔を爆破し、それが偶然の爆弾低気圧の影響もあって原発がコントロール不能に陥る。それも一つの筋道だろうが、あまり起こりえる話ではない。だが、どんな可能性もありうるのも事実。たとえどんな事態が起ころうが原発は安全かと問えば、やはり完璧な安全はないと答えるのが誠実というものだろう。
 霞ヶ関の文学好きの官僚が書いた普通の小説、というのが本書の正当な評価だろう。だからと言って原発の危険性が減じるものではないし、増加するものでもない。現実はもっと複雑で冷徹だ。現実をしっかりと注視していくことが必要だ。

原発ホワイトアウト

原発ホワイトアウト

●デモに参加している多くの若い人々は、「官邸前デモが政治を変える、社会を変える」と能天気に信じているようだ。・・・じっくりと物事を考えて論壇に見解を表明し、ジワジワと社会の価値観が変わっていくことを待つという旧世代の忍耐力はない。突き動かしているのは、自分の生き様をネット上に残したい、というモチベーションだ。(P35)
●「電力システム改革はやりました」と保守党政権が胸を張りつつ、細かい穴がいくつもあって、実際には競争は進展しない状態、というのが現実の落とし穴だろう。日村にとって譲れない一線は、あくまでも競争のフレームワークのさじ加減は官僚が決める、ということだ。(P83)
フクシマの事故以降一年ほどは、地震被災者、原発事故に関する報道は高い視聴率をとっていたが、その後、視聴率は凋落傾向を示していた。・・・とにかくあの辛い経験や恐怖を早く忘れたい、過去のものとしたいのだ。もはや震災やフクシマの事故を日本国民の多くは現実のものとして直視できなくなっていた。(P210)
原子力ルネッサンス、というのは、将来、世界的に原子力発電が拡大していく、というパーセプションを広めるための原子力ムラによるキャンペーンの標語である。・・・「国内ではなかなか原発が建たないけれども、世界では原発がドンドン建ちますから、原子力産業の未来は明るいんです」という業界の自己暗示だった。・・・しかし、現実の数字を見れば、世界の原発の設備容量は、・・・1990年代以降は4億キロワットにも満たずに、ほぼ横ばいの状態が続いている。アジアでいくつか原発の立地が進んでいるが、欧州では廃炉が進んでいるからだ。(P224)
立法府による行政府への民主的統制のメカニズムが働いている、といえば聞こえはいいが、その内実は、こうした既得権益側が国会議員を使って行政に圧力をかけ、法制度や事業の内容を我田引水に変質させることに他ならない。国の政治は、その国民の民度を超えられない。こうしたことが当たり前のように行われていることを許している国民の民度は、その程度のものなのである。(P231)