とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

家族という特殊な人間関係

 我々は必ず「母親」から生まれる。いや正確には自分を出産した人を「母親」と呼ぶ。我々には必ず「父親」がいる。母親と性交し、我々の誕生の一端を担った人。もちろん成長の過程で両親のいずれかがいなくなったり、時には全くの他人に育てられることもあるが、生物学的には必ず母親と父親がいる。そう考えると、母親と父親と子供で作られる家族という人間関係は、他の人間関係にはない全く特殊な関係だ。
 親子の確執とか、夫婦喧嘩とか、日常的にいろいろなトラブルが発生するが、家族同士の諍いは、やはり赤の他人との喧嘩とは違う要素が絡んでくる。生物的関係は関係として、さまざまなトラブルは他人とのそれと同等にしたいと思えば、いっそのこと離婚するかとか、親子の縁を切るかといった極端な選択もありうるが、なかなか簡単にそういう選択はできない。
 トラブルばかりではなく、家族ならではの、家族同士でしか味わえない幸せや歓びがある。そのことがどこからやってくるのか。性交し、子供の誕生を待ち、育てるという経験が夫婦ならではの感情を生む。子供を育て、育てられるという体験が親子ならではの感情を生む。それが家族という特殊な人間関係を生み出す。
 もちろん性交だけして子供の誕生や成長に関わらない父親、子育てを放棄した母親、親に育てられなかった子供にとっては、家族という人間関係はないのかもしれない。だから誰にでも家族がある・あったというつもりはない。けれども一度は家族をいう人間関係を経験すると、やはり家族はかけがえのないものだと思う。それはその特殊な人間関係から生まれる感情なのだと思う。
 当たり前のことだけど、家族ってやはり特別なんだと思った。