とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

 村上春樹の作品はこれまで、必ず文庫本を購入して読んできた。空前のヒットとなった「1Q84」後、初の作品である本書についても、これまで文庫本の発行をじっと待っていた。一方で図書館に予約を入れたが、順番は二桁後半。たぶん文庫本の方が早いと思っていたのだが、なかなか発行されない。そしてついに予約の順番が回ってきてしまった。初めて村上作品を図書館の本で読んだ。
 色にまつわる名前を持つ4人の友人と色彩を持たない多崎つくるとの物語。連想したのはMr.Chirdlenの「彩り」。その設定からしてそれほど期待していなかった。そして今は文庫本まで待てばよかったと後悔している。たぶんいつか文庫本を買うだろう。手元に置いておきたい。それほど面白かった。心温まる作品だった。
 テーマは何だろう? 「自由」と「人との結びつき」。「自立」と「大人になること」。多崎たつるの成長の物語。成長の物語と言えば「海辺のカフカ」を思い出すけど、あちらは子どもが大人たちに導かれ、成長していく話。こちらは4人の友人に追放された過去に囚われたまま大人になり切れない多崎つくるが、恋人の沙羅に導かれ、友人たちに会いに行き、少しずつその理由を理解し、友人たちとともに成長を遂げていく。村上作品にはめずらしく、現実世界から遊離したファンタジー的要素は少なく、夢の世界はあるけれど、夢は夢としてしっかり自覚し、その意味を考える。
 最終盤で新宿駅のホームで列車の発車を見送る描写が長々と続く。この小説はこの場面の描写から始まったのではないか、そんな気がした。駅には、駅をつくる多崎つくるがいて、出発した線路の先には過去の友人たちがそれぞれの生活を重ね、また将来の人生が待っている。沙羅とはうまく結ばれるのだろうか。きっとそうなると思う。温かくバランスの取れたわかりやすい作品だ。「ノルウェイの森」と並ぶ現実的な作品で、個人的には「海辺のカフカ」や「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と並ぶくらい気に入った。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

●歴史は消すことも、作りかえることもできないの。それはあなたという存在を殺すのと同じだから。(P40)
●あなたはナイーブな傷つきやすい少年としてではなく、一人の自立したプロフェッショナルとして、過去と正面から向き合わなくてはいけない。自分が見たいものを見るのではなく、見なくてはならないものを見るのよ。そうしないとあなたはその重い荷物を抱えたまま、これから先の人生を送ることになる。(P106)
●ある意味ではあなたたちはそのサークルの完璧性の中に閉じ込められていた。(P219)
●人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ。(P307)
●「すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃないんだ・・・僕らはあのころ何かを強く信じていたし、何かを強く信じることのきる自分を持っていた。そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない」(P370)