とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

「お下がり」世代

 私は昭和32年生まれである。人口ピラミッドを見ると、団塊の世代の後、次第に年代別人口が減少してゆき、いったん底を打った年である。出生数は昭和24年に約270万人とピークを迎え、その後減少。昭和32年に約157万人まで減少した後、再び上昇して団塊ジュニアがピークを迎える昭和48年には出生数は約209万人にまで至る。途中、ひのえうまの昭和41年が出生数約136万人と低くなっているが、その年を除いては昭和56年以前では2番目に出生数が少ない。

 私は早生まれなので、同級生の多くは昭和31年生まれだが、同学年の有名人は少ない。パッと思い付くのは、サザンオールスターズ原由子くらい。桑田佳祐は1学年上の昭和31年早生まれ。この学年は逆に有名人が多く、郷ひろみ野口五郎佐野元春松山千春大友康平世良正則とみんなこの年代だ。お笑い界では明石家さんまラサール石井小堺一機、俳優では竹中直人もいる。そしてスポーツ界では江川卓、中野幸一、具志堅用高

 これに対して昭和31年から32年にかけては、歌手では、原由子以外には長渕剛とアンルイスくらい。俳優で余貴美子石橋凌岡江久美子中村有志。スポーツ界ではラモスが有名なくらいで、他には定岡正二加藤久(ちなみにサッカー)。そして同じ具志堅でも体操の具志堅幸司。前の年代に比べ、ずっと地味で、よく言えば実力派な人たちが多い。

 若い頃からタレントが多くいる上の年代をうらやましく思ってきた。どうして僕たちの年代はこうなんだろう? 団塊の世代がリードした学園紛争などはもうほとんど終結しかかっていたが、まだ余韻は残っていて、学生の頃はバリケードによる学校封鎖やゲバ棒をかついだデモ行進を見たこともある。でも、あれは何だろうと醒めた気持ちで見ていた。上の年代の人たちの行動や価値観を学ぼうと思ったが、いま一つ心の底からは受け入れられず、かと言って、新しい価値観や運動を提示することもできない。

 もう少し年代が下ると、団塊の世代の影響もなく、堂々とノンポリを歌い、新人類と呼ばれるようになる。ウィキペディアを拾うと、1950年代から60年代前半に生まれた世代は「しらけ世代」と呼ばれるようだ。「三無主義」という言葉もあったし、確かに「しらけて」いた。だが、団塊の世代の影響が全くなくなった50年代末以降に生まれた人たちとはやはり違う。彼らは新人類として新たな価値観を主張したが、我々の年代はどうしても団塊の世代を見て、それを突破できなかった。それが心の澱として、劣等感として残っている。

 こうした我々の年代をどう呼べばいいだろうかと考えていて、ふと思いついた。「お下がり」世代ではなかった。上の年代からのお下がりをあてがわれ、それに違和感を持ちつつも、受け入れるしかなかった。そしてもうお下がりではない、新しいモノ・コトを主張する下の年代をうらやましく感じた。そのことにまたコンプレックスを感じる。それでもそうした気持ちを持ったまま時代は流れ、早や来年には定年を迎えようとしている。我々の人生って何だったんだろうか。同年代は順に還暦を迎えようとしている。「お下がり」はもう不要のはずだ。新しい老後を創りたい。