とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

もっと地雷を踏む勇気

 WEBマガジン「日経ビジネスオンライン」に掲載されている「ア・ピース・オブ・警句」は毎週読んでいる。この週刊コラムを19編集めて掲載したもの。WEB掲載時とほとんど変わっていないし、そもそも最近のモノで今年(2012年)の7月、古いものでも2010年9月掲載だから、まだ覚えているものが多い。それでどうして再読しようと思うかと言えば、小田嶋氏のコラムは心地良いから。同感するところが多いから。
 小田嶋隆は同い年である。私たちの世代は団塊の世代から遅れ、ビートルズや大学紛争も知らず、かと言って10年と離れておらず、新人類と呼ばれることもない。郷ひろみ桑田佳祐明石家さんまも1学年上。原由子桑田佳祐を支え、松本竜助島田紳助の陰に泣いた。出生数は私が生まれた1957年が同世代では一番少ない。いわゆる狭間の世代で、団塊の世代の尻拭いばかりをさせられているという思いがある。
 だからなのか、事件やニュースに対する筆者の意見や思いがよくわかる。まるで自分の思いを代弁してもらっているように感じる。もちろん全ての意見が同じわけではないが、矛盾を受け入れようと努め、明るくあきらめ、静かに怒る態度は似たようなものだ。
 自分を大人として扱うことにあきらめを持ったのはほんの10年ほど前、40歳を過ぎてからと言う。よくわかる。いや、私は未だに大人になり切れていない。大人と子供の違いを何となく理解し始めたのは、ようやく娘が二十歳を越えたつい最近のことだ。恥ずかしい。
 ということで、本書を読んでの新たな発見や驚きは正直少ない。書かれていることの大部分は普段、私も考えていることだから。でも、どこまでも自分の考えていることが書かれているので、読んでいて気楽で気持ちいいだ。それが時間の無駄かどうか。これからゆっくり考えてみよう、次の単行本を買うかどうか。もちろんコラムは読み続けるのだけれど。

もっと地雷を踏む勇気 ~わが炎上の日々 (生きる技術! 叢書)

もっと地雷を踏む勇気 ~わが炎上の日々 (生きる技術! 叢書)

●民主主義というのは、そもそも、建前を大切にする決意のことだ。われわれは、迂遠であっても建前を順守する体制を選んだ。・・・別の言い方をするなら、民主政治というのは、効率や効果よりも、手続きの正しさを重視する過程のことで、この迂遠さこそが、われわれが歴史から学んだ安全弁なのである。(P018)
●何かを数値に置き換える時には、多かれ少なかれ単純化という作業が介在する。数値化に伴って、数字になじまない要素が省略されることになるからだ。と、ある段階から、数字は、その数字の生みの親であるところの当事者にとって、他人行儀なものになる。不愉快で無神経で乱暴な、単なる結果としての記号に。(P156)
●思うに、新型うつに対する風当たりと、生活保護受給者への視線と、心身障害者へのこの度の仕打ちには、通底するものがある。簡単に言えば、われわれの社会が「差別」よりも「偽善」に対してより厳しく臨むようになってきているということだ。・・・この両者を同時に根絶することはできない・・・で、どちらがマシなのかという話になる。私個人としては、偽善的な世界の方がずっと住みやすいはずだと考えている。(P231)
●私が自分を大人として扱うあきらめを持てるようになったのは、この10年ほどのことで、数えてみれば、実に40歳を過ぎてからの話だ。なんということだろう。(P267)