とんま天狗は雲の上

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外来種は本当に悪者か?☆

 最近、池を総ざらいして、外来種を退治する類いの番組が流行っている。アメリカザリガミやウシガエルなどお馴染みの生物が外来種として取り出され、退治される。そんな番組を何気なく見ていたら、鯉は外来種だと言って捕獲されていた。ええっ、鯉って外来種なの? びっくりして検索してみると、確かに在来種の鯉は今や限られた水域にいるだけで、ほとんどが外来種の鯉に席巻されていると言う。でも、それって本当に悪いことなのか?

 そもそも在来種・外来種といっても、自然に国境はないことから、風まかせ、自然まかせで自由に地球上を移動してしまう。マゼランが地球を一周して以降、いまや人間は船や飛行機などを駆使して、地球上はおろか宇宙空間さえも移動してしまい、それと一緒に、好むと好まざるとに関わらず、多くの生物種が世界中を移動して回っている。そうした状況の中で、どうやって在来種と外来種を分けるのか。

 もちろん生物学的には種別が可能なことは理解するが、本書でも書かれていたとおり、ヨーロッパや北アメリカは、つい1万年前までは分厚い氷に覆われており、現在の自然は、氷河が消えた後、外来種が侵攻して形成されたものだ。在来種とはいつの時代の在来種なのだ?

 冒頭で紹介されているイギリス領アセンション島の事例も興味深い。アセンション島は大海に浮かぶ荒涼たる孤島で、在来種はごくわずかなシダを除けば、まったくなかった。溶岩が続く荒れ果てた島だった。そこへ世界中から200種を超す外来種が持ち込まれ、今では自然豊かな生息環境が現出しているという。しかも、在来種のシダでさえ、外来種が入ってこなければ今のように増えることもなく、絶滅していただろうと言う。

 同様に、本書で紹介されている衝撃的な事実として、アフリカの自然の変容がある。19世紀末、牛疫ウイルスがイタリア軍の小部隊によって紅海沿岸に持ちこまれて以降、アフリカ大陸を席巻し、牧畜を生業とする部族国家が大打撃を受けた。そこへヨーロッパ列強の植民地化の流れが押し寄せ、アフリカ分割が始まる。それに加え、牛疫ウイルスによるウシの減少がツェツェバエの蔓延をもたらし、多くの死者を生んだ。そしてツェツェバエが蔓延する地域は人の立ち入りが制限され、結果的に野生動物が増えた。現在残る多くの国立公園は、つい半世紀前までウシの牧草地だった。それを「原始のままのアフリカ」として保護している。

 さらには、自然豊かと思われているスコットランド低地地方よりも、産業荒廃地の方がはるかに自然の宝庫となっている現実が紹介される。集約的な農業がおこなわれている農薬まみれの農村よりも、雑然としたブラウンフィールドの方が、「野生生物がたくさんいた昔の田園地帯との共通点が多い」のだという。

 「自然はぜったいに後戻りしない。前進するのみ。」という最後の文章は説得力がある。変化することこそ自然の姿だ。人間がどう手を加えようと、その先の世界へと自然は進んでいく。それを本書では「ニュー・ワイルド」と呼んでいる。しょせん人間がどれだけ手を加えようと、保護をしようと、そんなことはおかまいなしに自然は変化していく。それこそが自然の意味なのだ。自然に手を加えるのではなく、人間の環境をいかに快適なものにしていくのかを考えた方がいい。そして生物の多様性は、人間がコントロールするのではなく、結果として起こってくるものかもしれない。自然の前に我々はもっと謙虚になった方がいいようだ。

 

外来種は本当に悪者か?: 新しい野生 THE NEW WILD

外来種は本当に悪者か?: 新しい野生 THE NEW WILD

 

 

○自然界では予測不能の事象がたえず発生していて、それを受けてつねに秩序も再構成されている。外来種もそんな自然の営みの一部なのである。外来種が変化を引き起こすこともあれば、そうでないこともある。けれども変化が常態なのであれば、よそ者の存在自体が害ということはない。いずれにしても、外来種に侵入されたところで生態系は崩壊しない。むしろ以前より繁栄することが多い。(P7)

○ほんとうは人間による自然破壊が原因かもしれないのに、反射的に外来種を悪者にまつりあげる例は多い。環境保護主義者は、まるで外国人を排斥するように外来種を毛嫌いする。けれども善玉・悪玉で分けるなら、外来種だって善玉かもしれないのだ。外来種が新天地で成功するのは、その土地の状況をうまく利用できる場合が多い。そのため導入しだいでは、悩みの種ではなく、解決策になる可能性を秘める。(P85)

外来種がたくさんいる環境には、在来種も多い・・・。外来種は、在来種といっしょのほうが新しい役割を見つけやすいし、在来種と役割を共有することもできる。生物多様性も上昇するから、役割が不足することもない。外来種がたえず入ってきて基礎体力がついた生態系は、新しい種の到来に対しても踏んばりがきくだけでなく、外来種を巧みに活用できるはずだ。これが「生物的抵抗力」である。(P190)

○いまは地質年代でいうと「人新世」、つまり人類が地球環境に著しい影響を及ぼしている時代だ。・・・「手つかずの自然」はもはや存在しないけれど、自然はそれだけ回復力があり、したたかにやっているということなのだ。・・・自然に取って、人間の存在はかならずしも悪とはかぎらない。・・・作物や家畜の交配は遺伝的多様性に貢献してきたし、世界各地に新しい動植物を持ちこんだことで地域の生物多様性を高め、ときには進化の引き金にもなった。(P214)

○21世紀から先の自然保護は、大きなパラドックスに向かいあわなくてはならない。気候変動が進む世界では、老齢林をはじめとする歴史ある自然、つまりオールド・ワイルドは、人間の介入にますます頼らないと存続できなくなる。そんな孤立した生態系は、たとえるなら博物館の展示物・・・だ。これに対して、新しい生態系は「あるものでやっていく」から、自分の足でしっかり立つことができる。それがいずれニュー・ワイルドへと成長していくのだ。(P302)

○オールド・ワイルドはもう死んだ。/でもかわりにニュー・ワイルドが繁栄している。自由にさせたらもっと勢いが増すだろう。・・・自然はぜったいに後戻りしない。前進するのみ。たえず更新される自然に、外来種はいちはやく乗りこみ、定着する。・・・自然はそうやって再野生化を進行させている。/それがニュー・ワイルドということだ。(P313)