とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

劇場

 又吉直樹の小説2作目。芥川賞を受賞した「火花」と同様、破滅型の青年を描く。Wikiで又吉の経歴を見ると、舞台の脚本なども書いているようだから、まったくの想像というわけではないだろうが、私自身、演劇の世界にはトンと縁がないので、よくわからない。「演劇って何だろう?」と主人公が自分に問う場面があるが、全編読んでも結局よくわからない。こんな破滅型の生活をしてまで追い求めるのはなぜだ。才能がないと言いつつ、そこから抜け出せないのはなぜだ。

 しかも作品全体が恋愛小説になっている。どうしようもなく抜け出せない純愛。そして抜け出せないグズグズな生活。それでも時間が経過するうちに、主人公も何とか自立した生活ができるようになり、しかしそれが却って彼女を追い詰めていく。最後は破局を迎えるのだけれど、最後まで純愛は続く。そのことに涙が流れる。

 でもこれって結局、何なんだ。読みながら、どうして自分はこんなどうしようもない奴の物語を読んでいるのかと自問した。少なくとも、読んで楽しくはない。唯一、心が晴れるのは沙季の天真爛漫な笑い。しかしそれを主人公は汚し、後戻りできない人生に追い込んでいく。何が言いたいんだ。芸のためなら女房も泣かすって、それを正当化していいのか。

 結局これはどこまでも男性の小説で、でもそんな精神の中には本当の人生の意味はないのではないか。破滅型人生を描くことの意味。それを評価することの意味。もしくは責任。言いたいことはわからないではないが、それが何を生み、どういう意味があるのか。それがわからない。だからたぶんもう又吉直樹は読まない。

 

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○自分から生まれた発想が本当に自分を突き動かす力を持っていたら、僕は他人の評価など構わずに、なんでもやってしまうだろう。結局そこまでの水準に達していないのだ。・・・演劇が世界に対して出来ることはなんだろう。そもそも社会的なものである必要などないのだろうか。僕の苦悩や怨念めいたなにかを世の中に吐きだすためのツールとして演劇を使おうとしている時点で古いのだろうか。演劇は、もっと軽やかなものなのだろうか。(P39)

○金もないのになぜ腹が減るのだろう。人の親から送られた食料を食べる情けない生きもの。・・・好きな仕事で生活がしたいなら、善人と思われようなんてことを望んではいけないのだ。恥を撒き散らして生きているのだから、みじめでいいのだ。みじめを標準として、笑って謝るべきだった。理屈ではわかっているけれど、それは僕にとって簡単なことではなかった。(P71)

○他人からみれば、馬鹿同士が戯れている光景にしか見えないことだろう。でも僕は沙季が笑っているこの時間が永遠に続いて欲しいと願った。この沙季が笑っている時間だけが永遠に繰り返されればいいと思った。(P124)

○嫉妬という感情は何のために人間に備わっているのだろう。・・・嫉妬によって焦燥に駆られた人間の活発な行動を促すためだろうか・・・他人の失敗や不幸を願う、その癖、そいつが本当に駄目になりそうだったら同類として迎え入れる。その時は自分が優しい人間なんだと信じこもうとしたりする。この汚い感情はなんのためにあるのだ。人生に期待するのはいい加減やめたらどうだ。自分の行いによってのみ前向きな変化の可能性があるという健やかさで生きていけないものか。(P140)

○俺、あの時、不安定でさ、死にかけとったからな。でも、死にかけてるって感じることは、生きたいって願うことやからな。ちょっと哲学的だけど。沙季ちゃんおらんかったら、マジでやばかった。ほんま。だから、だからでもないけど、みんな幸せになったらええな。みなな。上手くいかへんな。なんでやろう。俺の才能が足りへんからやな。俺、ずっと一人で喋ってるけど大丈夫? 神様、うしろ乗ってますか?(P179)