とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

幸福の増税論☆

 経済の成長さえ実現すれば、社会は必ずよくなる。政治がそんな成長神話に陥って久しい。一方で、人口減少が現実となった現在、成熟社会への移行を語る研究者は多い。だが、理想論としては理解できても、実現化への道が見えてこない。待つしかないのか。ここ数年、いや十数年、そんな思いを持ってきた。その中で本書に巡り合った。いや、本書とて、その提案が現実となるのはすぐには難しいかもしれない。だが、少なくとも具体的な提案がそこにはある。すなわち「ベーシック・サービス」と、それをまかなう消費税を中心とする増税案だ。

 「財政は連帯と共助の象徴」という言葉はあまりに理想論に聞こえる。だが、それが実感できる政策に転換しないかぎり、社会は変わらない。筆者は言う。人間の歴史を振り返れば、停滞の時代、いずれも家族原理を社会制度に取り入れることで抜け出してきたではないかと。そうだとすれば、いずれ日本も新たな社会制度を選択するようになる、せざるを得ないようになるだろうか。そうであってほしい。少なくともその時の方策についてはここに書かれている。あとはいつ、どういう形で、どういう状況下でそれを決定するかということだ。早くその時代が来てくれることを祈りたい。

 日本がこれほどまでの自己責任社会になってしまった原因を、江戸時代の「村請制度」に求めている点も興味深い。年貢を個人や世帯単位ではなく、村全体の責任と考えられていた。その中では、勤労と倹約は美徳として説かれ、勤労しない者は非難され、恥とされた。それが「一億総勤労社会」を作り上げ、「働かざる者、食うべからず」と言われ、自己責任論につながっていく。

 確かにそうかもしれない。それが新自由主義アベノミクスなどの成長依存思想を生み、そこから逃れられなくなっている。今こそ、そのしがらみを振りほどき、みんなが不安から解き放たれた、みたし合い、頼り合う社会にしていかなくてはならない。筆者の熱い思いに大いに共感する。井手英策。まだ46歳。いい研究者に巡り合えた。我々は若い世代にもっと期待していいだろうか。

 

幸福の増税論――財政はだれのために (岩波新書)

幸福の増税論――財政はだれのために (岩波新書)

 

 

○財政を僕たちの共同行為、いわば、連帯と共助の象徴へと鋳なおすことによって、引き裂かれた社会を治療し、再生の道をさぐる。共通のニーズをみたしあうことで税の痛みをやわらげ、結果として財政を再建可能にしていく。以上が……本書の基本的な戦略だ。/ここでひとつの提案をしよう。現金をわたすのではなく、医療、介護、教育、子育て、障がい者福祉といった「サービス」について、所得制限をはずしていき、できるだけ多くの人たちを受益者にする。同時に、できるだけ幅ひろい人たちが税という痛みを分かち合う財政へと転換する。(P83)

○僕は、「奪い・弱者を助ける」ではなく、「みたしあい・みなを不安から解き放つ」ことで、すべての人間の基本的な自由を保障する社会を提案する。/そう、金持ちから奪い、弱者を救済するのではなく、ベーシック・サービスによるニーズのみたしあいへと財政哲学を転換し、再分配のありかたを根底からかえる。「再分配革命」だ。・・・人間は正義のために助けあってきたのではない。命やくらしという必要のために助けあってきた。だからこそ……財政を起点として……利害関係を共有できる空間を作りあげ、「僕たちがともにある」という共在感を再生していくのだ。(P88)

○勤労、倹約、貯蓄という自己責任の社会、この根本を作りかえないかぎり、次から次へ成長という幻想を抱かせる言説が人びとをからめとり、そして社会をいっそう閉塞させ、時間だけが空費されていく。/頼りあえる社会の構想は、新自由主義アベノミクスなどの「成長依存」思想を……無効化させる。……成長は目的ではなく、将来の安心のための手段である。僕は、頼りあえる社会という、成長に頼らずとも将来の安心を実現する社会の指針を示そうと思う。(P102)

○「税と貯蓄とは同じコインの裏表」だ……税は人びとの命やくらしをまもるために使われる。であれば、税の負担が減れば、その分、生活のたくわえ、将来へのそなえを自己責任、すなわち貯蓄でおこなわなければならなくなる。……僕たちは税を「取られるもの」と考え、貯蓄を「資産」と考える。しかし……本当の対立軸は、勤労と倹約による自己責任で将来不安にそなえる社会を維持するのか、税をつうじて「社会の蓄え」をつくり、たがいに命やくらしのニーズをみたしあっていくのか、というちがいだ。(P118)

○縮減の世紀において問題となるのは……家族の原理が重要性を増すなか、それをどのように制度化していくか、という点なのである。(P202)

○「ウォンツからニーズへ」、そしてニーズのなかでも「個人的ニーズへの相互扶助の浸透、価格の低下」という大きな変化がおきている。……そして、危機の時代には必ず前面にあらわれる家族の原理が、政府とむすびついたのが頼りあえる社会であり、市場とむすびついたのが、シェアリング・エコノミーなのである。(P209)