とんま天狗は雲の上

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人口減少社会の未来学

 内田樹が呼びかけ、人口減少社会の未来への寄稿を依頼した結果、集まった10の論文。冒頭のこの言葉をどれだけ信じればいいのかわからないが、けっこう多様な立場や思想からの論考が集まっている。筆者は、池田清彦井上智洋、藻谷浩介、平川克美ブレイディみかこ、隅研吾、平田オリザ高橋博之、小田嶋隆姜尚中の10名。序論を内田樹が書くが、もっぱら「日本人は退却戦をクールに戦う知性に乏しい」という愚痴に終始してしまう。その点、生物学者である池田清彦の「自給自足+ベーシックインカム」という提案は、究極のシステムとしてあり得る姿を描いているのかもしれない。

 経済学者の井上智洋は、汎用AI・ロボットが人間労働の大部分を代替する第4次産業革命を予測する。しかし日本は既にその第4次産業革命に乗り遅れつつある。「知力を軽視する我が国は、このままいくと没落せざるを得ない」(P104)と厳しい予測を述べる。続く、藻谷浩介による統計数字を根拠にした議論は興味深い。人口増といっても内実、高齢者ばかりが増加する都市部よりも、地方にこそ生き残りの可能性があると言うのだが、実際そういう方向に動いているように感じる。平川克美の「モラルの大転換」はこれまでも筆者が「21世紀の楕円幻想論」などの著書で書いてきたことが再び書かれている。結局、内田樹にしても池田清彦にしても同じだが、定常社会論としてまとめられる論考。

 だが、次のブレイディみかこの論文を読んで驚いた。筆者によれば欧州はリーマンショック以降、緊縮財政策を採用してダメになったと批判する。そうした財政緊縮主義(小さな政府)は新自由主義を進めるためのレトリックだと言うのだ。そして、返す刀で日本もずっとシュリンクしていると言う。でも日本の場合、アベノミクスにより財政は野放図に拡大してきたはず。それなのにシュリンク? つまりは財政放漫の果実は権力側や上層部が全て吸い取っているということか? それにしても、「日本はそのうち、若い人々は海外に出て稼」ぐ国になるという予測は、怖くも言い当てているような気がする。

 その後の論者はいずれも、人口減少社会の未来を描くというよりも、それぞれの専門に引き寄せて、現在取り組んでいる活動などを述べている。最後に収められた姜尚中の安全保障論は日米同盟による「熱い近代」から脱却した外交戦略重視の平和主義を語っており、好感が持てる。しかし安倍政権による力重視の外交が続く状況では、悲惨な未来こそ見えても、希望は持てない。極東アジア情勢もたぶん、日本を取り残した形で進行するのだろう。やはり、自給自足生活か? そして、ブレイディみかこが書くとおり「サービスやケアを受ける側になったら日本の方がいい。料金が安いのに、質が高い」(P175)ので、高齢者が暮らすにはいい国のようだ。

 

人口減少社会の未来学

人口減少社会の未来学

 

 

○【池田清彦】国民のかなりの部分は、田舎で農業をして、食糧に関しては大方自給自足の生活をして、それ以外のものはベーシックインカムで贖うようになるかもしれない。グローバル・キャピタリズムは崩壊して、定常経済が当たり前の世界になるだろう。そうなれば、キャリング・キャパシティがほぼ一定で、人口もほぼ一定という、生物種の生存戦略としては最適な社会になる。(P74)

○【藻谷浩介】東京で起きている急速な人口増加も、実はもっぱら「高齢者の増加」なのである。……ちなみに日本の三大高齢化先進県といえば秋田県島根県高知県だが、この3県を合わせても75歳以上人口の増加は2万人で、全国での増加の1%に過ぎない。……高度成長期に一方的に若者を都会に出す側だったため、もはや「年寄りのなり手が少ない」状態で、遠からず高齢者の絶対数は減り始めると予測されている。(P109)

○【平川克美】市場化とは、無縁化とほとんど同義である。共同体内部には、市場は生まれない。人間社会とは、もともとは共同体的であり、相互扶助的なものであった。……人口減少社会における社会デザインとは、無縁の世界に有縁の場を設営してゆくこと以外にはないだろう。いったんは、民営化され破壊された、社会共通資本を再生させていくこと。そして、人類史的な相互扶助のモラルを再構築してゆくこと。/それが可能になったとき、人口減少問題は、もはや問題ではなくなっているはずである。(P153)

○【ブレイディみかこ】外側から見ると日本という金魚鉢はずっとシュリンクを続けてきた。……日本はそのうち、若い人々は海外に出て稼いで、働けなくなったら戻ってきてちまちまお金を使ってつましく暮らす国になるんじゃないかと思ったりもする。……外に出ないで生きていきたい人たちが……成長したりすることができない金魚鉢は必然的に濁る。/わたしは日本に必要なのは、末法思想のような店じまい論ではなく、「下り坂をあえて上る」勇気と知恵だろうと思っている。(P176)

○【姜尚中】「熱い近代」の呪縛から解き放たれ、そのソフトパワーを外交戦略重視の平和主義へと転換し、低成長=定常化を受け入れ、減災に優れた地域分散型の国土をネットワーク的に結びつけ、優れた文化的付加価値を多品種少量生産のシステムとリンクさせるサイクルを築ければ、日本はなだらかに斜陽を謳歌する成熟社会へと移行することができるはずだ。(P287)