とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

馬上・枕上・厠上

 「馬上・枕上・厠上」という言葉があるそうだ。「コトバンク」によれば、北宋の文学者、欧陽脩の「帰田録」にある言葉で、「余、平生作る所の文章、多くは三上に在り。乃ち馬上・枕上・厠上なり」と書かれている。馬上とはもちろん馬に乗っている時。枕上は寝床に入っている時。そして厠上とは便所に入っている時。文章を考える時の場所ということだが、文章に限らず、確かに「馬上・枕上・厠上」は今でも様々なことを考え付く場所だ。ちなみに馬上は今で言えば、自転車や自動車、または通勤中の電車内かもしれない。

 先日も日中、職場である問題について会議し、一応の方向を出したのだが、家に帰り着いた時に、ふと、議論したこととは別の展開、別の方策を思い付き、部下にメールで書き送った。本来なら翌日伝えればいいのだが、翌日まで覚えている自信がなかったので、彼には迷惑だったが、夕方、でもたぶん彼も帰宅途中の電車の中だろう。

 同じようなことはこれまでもよくある。今は会社が自転車で5分と近いので、思い付いた時には家に着いてしまうが、前は自転車と電車を乗り継ぎ、小1時間かけて通勤していたので、その途中で思い付くことがよくあった。特に自転車を漕いで坂道を登っている時によく思い付く。暗い夜道ではメモを出しても見えないため、メールで部下や自分あてにメールを送ることがたびたびあった(ちなみに部下に送るのは年に1回程度なのでご心配なく)。

 やはり自転車を漕いでいる時は一人で、話し相手もなく、静かなので、いろいろと思い巡らせてしまうのだろう。かつ、職場などとは違う環境にあることも、職場などでは思いつかないアイデアなどが浮かんでくる要因だと思う。今、こうしてパソコンに向かっていても、ブログネタはなかなか思い付かない。むしろ朝のウォーキング中に思い付いて、頭の中で復唱しつつ、家に着いた途端に忘れる、ということがよくある。やれやれ。

 枕上や厠上はあまりない。というか、寝床で思い付くようなことは碌なことがないし、寝付かれなくなるので、思い付きたくない。それでも時に、重要な事柄を思い付いて、わざわざ起き上がって、机の上でメモをすることもある。ああ、イヤだ、イヤだ。トイレは・・・ないな。

 これって人それぞれなんだろうか。こんな話を同僚にしたら、「自分も電車内で思い付いて、途中駅で降りて、部下に電話したことがある」と言っていた。自分だけではなかった。ああ、よかった。