とんま天狗は雲の上

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「食糧危機」をあおってはいけない

 『食料自給率の「なぜ?」』を読んだ際に感じた疑問、すなわち「さまざまに取り上げられる食糧危機説や環境負荷説に対する客観的な説明に乏しい」ということに対して、多くの統計や世界の実例等を紹介し説明してくれる。そう、「食糧危機説は一部的なブームであり、特定の利益団体によるプロパガンダにすぎない」と。
 本書で一番衝撃的だったのは、「国連推計は中位推計でさえ過剰で、たぶんそこまでは増えない」という下り。人口問題の専門家ではない筆者の主張をそのまま受け入れるのは問題がないわけではないが、本書の結論としては、「人口増加が国連推計ベースで推移しても、食糧増産には十分余裕がある」というもの。そうであれば、人口推計はどちらでもいいわけだが、国別・地域別の将来的な出生率の分析を元にした批評はやはり衝撃的だった。
 前書で危機と取り立たされた「アメリカの地下水の枯渇」や「バイオエネルギーによる穀物危機」、「地球温暖化による農業用地の減少」「後進国の食生活の変化による食糧不足の加速」などは、世界的な実情や幅広い視野からの考察により、ことごとく偽装危機であることが暴かれていく。「フード・マイレージ」や「バーチャル・ウォーター」などの新奇な概念も冷静な分析で一蹴する。
 実は食糧は世界的には常に生産過剰の状況にあり、一方で経済的に貧困にならざるをえない自国農業は保護せざるを得ず、多くの国が何とかして輸出しよう、売りつけようとしている。昨年の価格高騰は金融危機に連動したもので、食糧自体は余っており、それが貧民層に行き渡らないことが問題であった。アフリカの飢餓難民の問題にしても、食糧危機は基本的に政治問題・経済問題として発生している。
 こうした説明はよく理解できる上に、ならば農業政策・食糧政策はどうしていかねばならないのか、何をこそするべきか、を真剣に考える必要がある。少なくとも食糧自給率アップ・キャンペーンや食育運動はいらないとはっきり言える。
 それにしても、前書の『食料自給率の「なぜ?」』を振り返ると、国の役人が、いかに手元のデータを組み合わせてそれなりに説得力のある文章や政策をひねり出す天才か、ということがよくわかる。官僚は専門分野研究の専門家ではなく、専門分野政策のプロパガンダの専門家だということである。政治家も同様。やはり、通説は常に疑うことこそ必要だ。

「食糧危機」をあおってはいけない (Bunshun Paperbacks)

「食糧危機」をあおってはいけない (Bunshun Paperbacks)

●人口増加と開発途上国の経済発展を見込んだとしても、食肉消費とそれによる穀物消費の伸びは、これまでの半世紀の伸び率を下回るものでしかなく、「爆発的」というにはほど遠いレベルに留まるでしょう。山登りにたとえれば、難所はすでに乗り切っているのです。(P46)
●日本で魚の消費量が減ってきているのは事実ですが、それを「魚離れ」と呼び、大きな問題であると捉えるよりは、むしろ「どんな食べ物でも手に入るようになったことで、魚も一つの選択肢となり、消費量も一定のレベルに落ち着こうとしている」と考えるほうが自然です。(P57)
●おそらく21世紀の後半は、世界規模で人口が減ってゆく社会になるでしょう。世界人口の6割を占める地域で人口増加率が急速に落ち、日本のような先進国では早々に人口が減りはじめる。それが21世紀の世界なのです。そういう時代は食糧に関してはあまり心配はいりません。(P83)
●「人間の住むところが増えたから農地が減った」という見方は、東京、神奈川、千葉といった首都圏では事実でも、北海道ではまるで事情が違いますし、ましてアメリカの大平原に行けばまったく当てはまりません。人間は非常に狭いところに固まって住んでいて、農地を潰して宅地にするという動きは、私たちがよく目にする都市近郊の人口密集地域で起きているだけだということです。(P108)