とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

考えよ!

 イビチャ・オシムが日本語を書けるはずもない。事実、本書の中でもオシム自身がそう書いている。セルビア語で書いたとも思えない。そんな時間もないだろう。明らかにインタビューをまとめて翻訳したものだ。しかしそのことが明確に書かれていない。「はじめに」と「目次」の間のページに小さく「協力:(株)アスリートプラス 大野祐介/ウラジミール・ノバク」と記載されている。ウラジミール・ノバクについて検索すると、ワールドサッカーダイジェストを始めいくつかのサッカー専門誌でコラムを記述するジャーナリストのようである。
 書かれていることは大変網羅的で、ある意味支離滅裂な部分もあり、とにかく多彩なテーマについて話を聞きまとめたという印象である。たぶんオシム本人に聞けば、「そういう見方もできる。全く逆のことも言える」と言うのではないか。つまり状況によって見方は常に変化するということである。
 読めば面白く一気に読み終えてしまう。オシムの立場や見方も垣間見える。しかしオシムは評論家ではない。その言葉に一喜一憂したところであまり意味はない。悲しむべきはこうして粗製濫造された本がイビチャ・オシムの著書として披露されることである。オシム自身が本書を見れば、メディアの悪しき習性であり、サポーターをけっしてよい方向へは導かないものとして大いに悲しむのではないか。しかしそれが日本サッカーの現実であると受け入れるのかもしれない。事実そのとおりなのだから。
 オシムには注目したい。だがオシムの言葉を聞くのではなく、オシムの行動を見、オシムを対象として感じたい。W杯を目前に刊行されたオシム本の中では最低ではないかと思いつつ、実は木村元彦氏の本も買ってしまった。次はその感想を書いてみたい。気持ちのいいものであればいいのだが。

●今日、お金のために美しいプレーはなくなり、サッカーは破壊されている。/はびこっているのは勝利至上主義である。・・・商業主義がサッカーを支配すれば、まるでローマ時代のコロシアムのようにタイトな勝利だけを競うものとなる。/エレガントなプレート勝利の両方を追求するような理想はない。(P30)
●日本代表は、相手のゴール前でのプレー効率が悪い。・・・日本の場合は、プレー効率の悪さの原因がスピードにあるのだ。「プレーにスピードがない」「考えることにスピードがない」「ランニングにスピードがない」と、ないないづくしである。(P98)
●ヨーロッパから日本を訪れた人は、日本がいかにディシプリンを持った国かということに深い感銘を受ける。規律とルールの下に社会が平和に機能している。しかし、私は、サッカーにおいては、日本がディシプリンを守り続けることができないことを知って、少なからず失望した。(P104)
●今回のワールドカップのグループEを見るならば、日本が、カメルーン、オランダ、デンマークという3つのチームに負けることは、たいした痛手ではない。なにも失うものはない。・・・負けても現在と同じ状況に留まるだけのことである。/しかし、もしそこで勝利を得られたならば、それは「自信」というとてつもない大きな財産となるのだ。/まず、負けないためにどうすべきかではなく、勝つためにはどうすべきかを考えようではないか。(P145)