とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

<責任>の生成

 昨年は「スピノザ」「目的への抵抗」を読んだ。2020年の発行だが、國分功一郎の対談本が出ていた。中動態を中心に「責任」の問題を語っている。興味があったのでさっそく読んでみた。

 本書は、哲学者の國分功一郎と、小児科医で当事者研究を専門とする熊谷晋一郎の対談本である。國分の「暇と退屈の倫理学」を読んで、熊谷から連絡を取り、それから二人の交流が始まったと書かれている。当事者研究とは何か。どうやらそれは、精神障害発達障害などを抱える人々のための治療の一環として始められた活動のようだ。

 そして、自閉スペクトラム症である研究者、綾屋紗月の言説や経験を通して、自己と他者との関係、自己とは何かを考えていく。そのことと、能動態/受動態で考える自己と他者の関係、そして中動態の概念を持ち込むことで、自己と他者が対照的な関係ではなく、自己の不定形さが見えてくる。

 中動態の世界では、主体と客体が組み合わさって初めて自己が生成される。すなわち、そこには、能動態/受動態でみられるような、他者と屹立した明確な自己などはない。自己は常に生成変化するなかで形作られていく。そしてそこに真の意味での「責任」が生成される。「責任」を個人に期すのではなく、個人の関わりを見つつ、社会全体で共有するという視線。何かそれはとてもやさしい世界ではないか。最後に熊谷が紹介する「高信頼性組織研究」もすごく納得ができてくる。

 この対談は、先に書いたように「暇と退屈の倫理学」がきっかけで始まったと書かれている。しかし前に書いたように、すっかりその内容を忘れてしまった。やはりそろそろもう一度読み直すべきか。その前に「中動態の世界」も読まねばならぬ。でも本書を読むと、中動態について概ねのことはわかったような気がする。それはとてもやさしく、心地よい世界のようだ。楽しみだ。

 

 

○【國分】能動態と受動態の対立は「する」と「される」の対立として描き出すことができなす。これは行為や動作の方向性に依拠する定義です。矢印が自分から外に向かえば能動だし、矢印が自分に向かえば受動となるわけです。…能動態と中動態の対立においては、…「外」か「内」かが問題になっている…。主語が動詞によって名指される過程の内部にあるときには中動態が用いられ、その過程が主語の外で終わるときには能動態が用いられた。(P97)

○【國分】意志の概念によって行為をある主体に所属させることができるようになる。…行為がある種の私有財産となるわけです。ではなぜそのようなことが必要なのか。それは責任を考えるためです。ある行為が僕のものなら、その行為の責任は僕にあることになります。…このようにして行為を所有物をする考えの根拠とされるのが「意志」の概念であるわけです。(P114)

○【熊谷】ポスト・フォーディズムの社会は、中動態の反対の世界です。意志を持って前向きに、過去のことはすぐ忘れて、とにかく振り返らずに前だけを向いて生きていく。そうした、いわば反中道的な個人がますます求められている(P309)

○【國分】僕らは「使用」を「支配」の意味で考えていると思います。ペンを使うとき、ペンを支配して、みずからの思いのままにそれを使っている、と。しかし、自転車…の例からわかるように、むしろ使うためには、…主体と客体の組み合わさった何か、自己のようなものが構成されると考えねばならないのではないか。(P371)

○【國分】「魂」がいちいち指示をしていたら身体は動かない…。だから実際には、協応構造といって、勝手に身体の方でいろんなことをやってくれるわけです。にもかかわらず、魂が身体を支配するという考え方は非常に根強い。この考え方が能動態と受動態の対立に合致するからだと思います。(P384)

○【國分】主体を実体として前提としない哲学は責任を問うことができない、という考え方があります。しかし、それは違うのではないか。責任が生成変化であるとしたら、それは主語=主体を場所として、使用を通じて自己が構成される過程と無関係ではない。責任を引き受けるときにも、その責任に向かって何かを使用する自己が生成されていると考えるべきではないだろうか。使用という原初の光景を見定めることによってこそ、責任を引き受ける自己が生成しうるのではないだろうか。(P404)

○【熊谷】「高信頼性組織」とは…失敗が許されない組織のことです。…組織としての失敗をゼロにするためにどうしたらいいか…その結果出てきたのが、「ジャスト・カルチャー」です。要するに、失敗を許容する、犯人探しをしない文化です。…その代わりに自分が経験したことはすべて包み隠さず話さなくてはなりません。そして、組織全体の問題として全員が受け止め、考え、応答する責任は課せられます。…失敗も含めて賞賛され、組織にとっての貴重な学習資源として受け止められる。…本気で失敗を減らしたければ、失敗を許さなければいけない。(P413)