とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

成人の日の意義

 娘が成人式を迎えた。大学の同級生には夏頃に成人式の案内が来ていたと言う。娘にはいつまで経っても案内が来ないので忘れられたかと心配したが、私の住む市では成人式の案内は行わず、市広報に掲載するだけだと言う。
 そう言われて12月15日発行の広報を見たら、確かに載っていた。でも、親がこの街で生まれ育っていなければ、気が付かない可能性が高い。12月まで当日の予定も立てられない。
 もっとも娘は「学校の課題があるから成人式には行かない」と言っていたし、われわれ両親も若い時に成人式に行っていないので、成人式出席についてあまりこだわりはなかったが。
 それでも振り袖を着せて写真を撮りたいと妻が言う。委せていたら、実家から妻の妹の着物を借りてきた。で、12月になってから、美容院の友人に話をしたら、当日の午後なら空いているとのこと。次は写真館。これも友人に話したら、結婚式場の方を紹介いただき、当日の夕方で予約。でも話を聞くと、1年前から予約が入っていて、12月になってからそんな話をするのでは、普通はとても間に合わないと言う。そんなものなのか。
 思い返してみれば、高校を卒業するとともに送られてきた貸衣装のDMが夏くらいからすっかり来なくなっている。その頃にはみんな予約済みということか。
 だいたいうちの市でも午前中に式典があるから、着付けはその前の早朝に行い、写真を撮ってから式典に行くのが一般的な行動パターンらしい。わが家は式典をさぼり、午後から動き出したから予約も取れたしどこも空いていた。というか、娘以外に晴れ着姿の女性を見なかった。
 夕方に開かれた高校の同窓会への送迎をした時に初めて、晴れ着姿の若い女性を見た。娘に聞いたら同窓会出席者の半数くらいが着物だったと言う。早朝からずっと着物でいたのか。がんばるな。ちなみにうちは写真を撮ったら即、脱いで洋服姿で出かけていった。
 もう一つ驚いたのは、写真館で「ご成人おめでとう」と言われたこと。あ、そうか、めでたいのか。よくわからないけど。飲酒も選挙権も誕生日が基準なので、成人の日は式典をする以上の意味はない。「おめでとう」と言われても、「式典にも出てなくてすいません」と思わず頭を下げてしまった。
 そう言えば今年は新成人が会場で暴れたという話題をほとんど聞かなかった。みんなで集まって一暴れできるという風潮は廃れ、高校や中学の同窓会を開催する日というのが、最近の成人式の意義らしい。しかしそれも3が日のうちに行ったという話も聞く。今後、成人式の意味がしだいに廃れていくのではないか。
 そう考えると式典は行うが、案内は出さないわが市の方針は案外正しいのかもしれない。できれば二十歳に達した時点で、成人の権利と義務を周知する書類が送られてくるといいと思う。ちなみにわが家に送られてきたのは、おめでとうの言葉もなく、必ず金を払えよと言わんばかりの国民年金の案内だけだった。