とんま天狗は雲の上

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議事録を作るのは当たり前なの?

 あえて「社会」カテゴリーではなく「雑感」カテゴリーに分類しておくのだが、一時、東日本大震災関係のいくつかの会議の議事録が作成されていないことがニュースとなった。もちろんマスコミやブログ等でも政府の怠慢、いや問題だと非難する大合唱だったが、これらを読みながら、「議事録を作成するのは本当に当たり前なのかなあ?」と思った。
 だって、僕が出るいくつかの会議で、議事録まで作成するのは数少ないから。お前のしょうもない会議と政府の会議とは違うと言われるだろうが、そうでもない。実は議事録まで作成する会議は、発言内容をそのまま記録するのではなく、発言趣旨がわかるように要約し、改文し、上司や複数の人間でチェックし、発言者に確認をしてもらった上で正式なものとすることが一般的だ。
 場合によっては発言者から修正を求められることすらある。人間は話し言葉では十分に意味の伝わる内容を話しているわけではない。ボイスレコーダーの録音をそのまま書き起こすと、何が言いたかったのか、さっぱりわからないことも少なくない。
 批判記事の中には、「今どきボイスレコーダーで簡単に録音できるのだから、議事録を作成しないなんて考えられない」なんて書かれていたものもあったが、これなんて逆に、「今どきボイスレコーダーで簡単に録音できるのだから、議事録まで作成するなんて考えられない」と思ってしまう。検察の取り調べも、ボイスレコーダーに録音されたものをそのまま裁判証拠に採用すれば、わざわざ検察調書など作成する必要もない。
 議事録の役割は、重要な会議の内容を後日参考とできるよう記録として残しておくものだが、内容が正確でかつ意味が伝わることが必要で、そのためにはそれなりの時間がかかる。逆に議事録を残さないことを条件に自由な発言を促す趣旨の会議もあるし、結論だけを明記して共有すれば足りるタイプの会議もある。
 政府や行政の会議は議事録を作成するのが当たり前ではなく、議事録を作成すべき会議と不要な会議を明確にしておくことが必要なのだと思う。議事録・議事概要が未作成な会議名が公開されているが、会議名だけでは本当に議事録が必要だったのか判断できない。