とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

さよならドビュッシー

 トヨタ店の抽選で当たって文庫本を手に入れた。映画も好評だ。特に名古屋では、市役所が撮影に使われたし、馴染みの地名やコンサートホールも登場するので親近感がある。だが、そうしたことは別にしても、抜群に面白い。
 ピアニストをめざす女子高校生が次々と訪れる不幸と戦いながら、ハンサムな音楽教師に導かれつつコンクール優勝に挑戦する。まるで「エースをねらえ!」の岡ひろみみたい。演奏シーンの圧倒的な筆力にも驚かされる。そして最後の最後で明らかになる奇想天外な真実。さすが「このミス」大賞受賞作だけある。
 「このミス」大賞と言えば、海堂尊で嵌った後は受賞作品を追うことをしてこなかった。そもそもミステリー好きではないし、この作品も2010年1月に単行本で刊行されたものだが、今回、映画で公開されるまで全く知らなかった。だがこれは面白い。海堂尊に続いて病みつきになりそう。次は「「おやすみラフマニノフ」を読むことにしよう。

さよならドビュッシー (宝島社文庫)

さよならドビュッシー (宝島社文庫)

●わしの考えでは、これが欲しいあんな風になりたいとかの希望やら願望は果実みたいなモノや。若いうちは食せば滋養にも美容にもなろう。しかし時を経れば果実は傷み、腐る。腐った果実は毒素を持つ。当然、それを食し続ける者は腹の内から蝕まれていく。(P42)
●君は障害があるかどうかで人間を二分しようとしているけど、それは間違いだと僕は思う。人は誰もが欠陥を持っている。ただその欠陥が何であるのか、その欠陥が見えるものなのか見えないものなのかという相違だけだ。(P120)
●傍観者になるかどうかは状況ではなく、その人間がその場でどう対処するかの判断で決まる。そして傍観者を決め込んだ者は、その瞬間から罰せられない罪人になる。そして責任がない分、時として傍観者は加害者よりもずっと卑怯だ。(P154)
●どんな道を往くにしてもどうせ辿り着く先はみんな棺桶だし、立派な道を歩いて功成り名遂げたはずの政治家や官僚がマスコミの前で醜悪を晒すのは今に始まったことではない。大事なのはどんな道を歩くかではなく、どう歩くかなのだ。(P246)
●世界は悪意に満ちている。・・・でも、自分が攻める側にいる時には全然気付かない。いや、気付かない振りをしている。残虐さを正義感にすり替え、自分の中にある悪意を認めようとしない。だが、自分を正しい人間だと思い込むこと、自分と立場を異にする者を悪と断じること自体が悪意ではないか。(P349)