とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

90歳の昔話ではない。

●残念ながらディスティファノの盛期を見ることはできなかったが、ペレは円熟期に、ベッケンバウアーとクライフは絶頂期、マラドーナ釜本邦茂は少年期から最盛期を経て引退するまでを見た。/岡田武史監督の特徴ある眼鏡は中学生のときに知った。ブラジル留学中の若きカズ(三浦和良)に会ったのは87年南米選手権のとき。長谷川健太らは、清水の小学生からだ。(P19)

 この言葉に筆者の偉大さが表れている。そして今年のブラジルW杯も現地取材をした。来月12月で何と90歳。世界最高年齢の現役サッカージャーナリストだ。
 賀川浩の名前は昔からサッカーマガジンなどでよく見ていた。超ベテラン記者だということは知っていたが、90歳とは思わなかった。とても90歳とは思えないほど、その文章はしっかりしている。そしてブラジルまで行く体力があるとは。それでも南アフリカは体調がかなわず、日本でのTV観戦になったそうだ。これからも身体をいたわり、いつまでもサッカー取材と慈愛あふれる的確な批評を続けていってほしい。
 本書は3章で構成されている。1930年、初の選抜代表チームによる極東大会。1936年、ベルリン五輪ベルリンの奇跡から2011年女子ワールドカップでのなでしこの優勝までを綴る第1章「フットボールクロニクル」。さすがに1930年のゲームを実際に見ているわけではないが、1947年東西対抗はスタンドで観戦したそうだ。
 第2章「フットボーラークロニクル」は、岡田武史からネルソン吉村、クライフ、ベッケンバウアー、釜本と杉山、ペレ、岡野俊一郎長沼健、筆者の兄・賀川太郎、そしてサッカー界の大先達・竹腰重丸まで、18人のフットボーラーを振り返る。これらはすべて彼が実際に観た上での論評だ。岡田武史の中学生時代での初対面のエピソード、ベッケンバウアーの74年ワールドカップでのクライフらとの一対二に局面における見事な対応、杉山のメキシコ五輪出場を決めた突破とひらめきのシュートなど、賀川浩ならではのサッカー眼と出来事にあふれている。
 そして第3章「ワールドカップクロニクル」では、筆者が現地取材した1974年西ドイツワールドカップから2014年ブラジルワールドカップまでの取材記事が掲載されている。それぞれ当時書かれたものを転載していると思われるが、決勝戦など主なゲームの内容を全て描くわけではなく、思い切った削除と的確な注目でメリハリのある味わい深い文章となっている。しかも押し付けがましくなることもなく、控えめで客観的な筆致を崩さず、それぞれの大会ならではの特長と見所を的確かつ躍動感をもって余すことなく伝えている。
 読んで爽やかだ。これで90歳とはとても思えない。いつまでも元気でいてほしい。そう願わずにはいられない。賀川浩は世界サッカー界の至宝だ。

90歳の昔話ではない。 古今東西サッカークロニクル

90歳の昔話ではない。 古今東西サッカークロニクル

●「どれだけ速く走るかよりも、いつ走るか。サッカーでは”いつ”が大事なんですよ」「どんないいワザを持っていても、”いつ”使うかです」/若い選手へのアドバイスを求めたときに、いくつかを並べ、最後に「一番大切なのは、仲間を助けるという気持ち」だと言った。(P92)
●相手が二人、しかもボールを持つのはヨハン・クライフで、対応するのはベッケンバウアー一人という難しい場面を、彼がクライフのドリブル突破を防いでレップにパスを出させ、レップのシュートをマイヤーに止めさせた。多くの批評家はこのチャンスに得点できなかったレップのミスと記しているが、やはり、ここはベッケンバウアーの判断と対応、さらにキャプテンの動きに合わせたマイヤーとのコンビが絶体絶命のピンチを救ったのだと思っている。(P103)
●ボールがゴールインしたのを見ながら、一瞬、ちゅうちょしていたマラドーナは、やがて、かけ出し、タッチラインそとで、ガッツポーズをしてみせた(プレスセンターへ帰ってビデオをみたら、はっきりとマラドーナの手がボールを突いていた・・・)。こののちに、議論の的となった得点から4分後に、マラドーナのスーパードリブルによる、スーパーゴールが生まれる。・・・4人を抜いて50メートルをドリブルし、なお、ゴールキーパーに対しての反応が適切であるところに、ディエゴ・マラドーナが、偉大なゲームメーカーであると同時に、スーパーなストライカーであることを示したのだった。(P218)
●日本には戦前から68年メキシコオリンピック銅メダルチームの得点王・釜本邦茂までストライカーの系譜があり歴史があったのだが……。/JFAJリーグも、もう一度ストライカーについて考え、先人を見つめる必要があるだろう。ブラジルのスタンドでもピッチでもプレスルームでも、サポーターも代表もメディアも”若さ”が目立った。/日本サッカーがもう少し大人になるためにも、改めて自らの歴史を振り返りたい。(P280)