とんま天狗は雲の上

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国土が日本人の謎を解く

 タイトルから見て「日本礼賛本かな?」という予感はあったが、それでも前半は災害や飢饉が多い日本の国土について述べていく。序章で披露される「災害死史観」と「紛争死史観」という書き方から既に胡散臭い感じはしたが、後半になっていよいよ独善的な日本人観が暴走し、日本は世界で唯一無二の国であり、国民であるという日本礼賛史観が跋扈する。

 筆者は建設省道路局長等を経た土木技師であり、既に70歳になる高齢者である。高度経済成長期をまさに国の中心で生き、日本をリードしてきた。そうした経験がこうした言論を生むのだろう。日本人は「公」よりも「共」の考え方が染み付いており、「個を尊重する」憲法第13条は日本人を否定するものだ。日本人は集団的に行動することで力を発揮する民族であり、それこそは日本人の美徳である、といった論調の文章が続いていく。中盤では、「私益」よりも「公益」を優先する「市民」感覚は日本には根付かなかったという部分もあり、これは後段の主張とは矛盾するように思うのだが、意に介することはない。

 私も確かに日本特有の国土や気象などが日本人の文化や心性を作ってきた面があると思っているが、それが未来永劫変わらないものとは思わないし、現に江戸期・明治期・戦後と日本人の行動や考え方は変化しているのではないか。変わらないものと変わるものがある。本書の冒頭には「われわれには、変わることを恐れない・・・文化が育った」という文章もある。「個」を尊ばず、「共」に生きるという日本人の姿はこれからも本当に変わらないと言うのだろうか。我田引水の日本礼賛本の域を出ていないと思わざるを得ない。

 

 

国土が日本人の謎を解く

国土が日本人の謎を解く

 

 

○変わらないから変わらないことを大切にする西欧の文化とは逆に、わが国では変わってしまうから変わることを喜ぶ文化が育ったのである。・・・つまり、われわれには、変わることを恐れない、何もしなくても変わってしまうからこそ、変わることを尊ばざるを得ないといった文化が育ったのである。(P18)

○「市民とは、責任を果たすことを約束したことで安全な城壁内に住む権利を得た人」を指す言葉なのだ。・・・この責任の内容を総括すると、「皆の利益になることについてもきちんと責任を果たす」ということになる。自分の直接的利益とならなくても、「みんなで、みんなのための」責任を果たすということだ。みんなの利益が確保されなければ自分の利益は生まれないとの認識だ。つまり「公益」のあとに「私益」がついてくるとの認識である。(P111)

○「公」というのは、バラバラに独立した個を、責任主体としての個は個としたまま集合化するための論理や知恵であった。/「共」というのは、一人一人が個というものを打ち消して、隠しきって一体となって溶け合い、「全体が一つになっている」状態である。これがわれわれの理想の状態なのであった。それを個に分離するなど無理難題もいいところで、「個」の強要はわれわれには困難なのだ。(P125)

○見過ごされがちな問題の多い条文は日本国憲法第13条だと考える。「すべて国民は、個人として尊重される」という部分である。・・・日本人は個性をむしろ押し隠して、集団として力を発揮してきたのである。第13条の規定は、私たち日本人には合わないというレベルを超えて、日本人の否定というべき条文なのだ。(P183)

○戦後は戦前の否定では終わらなかった。日本そのもの、歴史も精神も含むすべてのものを否定された。これを放置したままでは、われわれ日本人は根無し草として世界に漂う存在であり続けるしかないとの認識が必要なのである。/日本はいつから「日本になった」のではなく、初めから日本だった。(P222)