とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

キトラ・ボックス

 昨秋、キトラ古墳に行って以来、気にかかっている。先日読んだ「皇室がなくなる日」は、天皇生前退位の話だったはずなのに、第1部ではもっぱら大化の改新前後の政変を巡る話が語られた。そしてこの「キトラ・ボックス」。

 キトラ古墳の被葬者は阿部御主人という説が有力なようだが、本書はまさにそれを確定させる考古学的発見がされたという話を縦糸に、中国とウイグルチベット自治区との抗争を横糸にして、「アトミック・ボックス」で活躍した宮本美汐や藤波三次郎らが再度登場し、中国ウイグル自治区からの留学生・可敦を中心に活躍する姿を描く。「アトミック・ボックス」とは「ボックス」つながりだが、そちらの登場人物である警察官の行田や新聞記者の竹西も出てきて、ほぼ総出演だ。

 そして何と言っても明るいのがいい。最後に、可敦と中国政府との関係が明らかにされるが、そういったミステリー的な要素もありつつ、国際関係も考えさせられつつ、キトラ古墳の時代も想像させる。その点でも実に壮大な内容でもある。しかしそれをそれほど大仰なことと思わせないところがいい。そしてみんないい人。可敦を誘拐し拉致した中国人悪党らでさえ憎めない。

 ますます池澤夏樹が好きになった。というのは「アトミック・ボックス」の感想の最後にも書いた文章だが、ほんとにそう。次作も期待します。

 

キトラ・ボックス

キトラ・ボックス

 

 

玄宗皇帝が楊貴妃にうつつをぬかしたのに対して反乱を起こしたのが安禄山。唐の軍勢はなんとか彼を倒したけれど、後に史朝義という残党が残った。ここでウイグルのブグ・カガンという武将が唐につくか反乱軍につくか、迷いました。その時にブグの妻の父である僕固懐恩が説得して唐の側につかせたので、唐とウイグルの連合軍は勝利を収めることができました。そのブグ・カガンの妻の名が可敦です。だからほんとならば私は漢族とウイグル族の融和を図る役割なのに(P84)

イデオロギーウイグルチベット独立運動に手を貸すほど事情を知っているわけではない。北京のやり方を新聞で読んでなんとなく嫌だなと思うくらい。民族自決はやはり守るべき基準だと思うけれど、でも、やはり遠いところの話だ。ただ、今のぼくにとって可敦さんは大事な仕事仲間だ。・・・今のところはそれが充分な理由になると思っている。行田さんは退屈しているから参加したいらしい。・・・美汐さんは・・・「ただの好奇心ということにしておいて。(P104)

○船に乗った者の職掌を長々と連ねたのにはわけがある。私はこの種のことが好きなのだ。いくつもの役割が組み合わされて一つの大きな仕組みができ、それが大きな仕事をする。その動きを知ることは人の上に立つ者にとって有用ではないか。国とはそういうものではないか。船の上では万事を見ているだけの非力な若い者にすぎないとしても、そこで見たことが役に立つ日が来ることを私は疑わなかった。(P119)

○民族や言語や宗教を跨いで国家を造るというのはつまり帝国主義だが、中国は昔からこれで国を運営してきた。それが国というものの本来の姿だと思っている。/日清戦争以来の日本への屈辱感と恨みが大きいのはそのためだ。文字をはじめ文明のすべてを自分たちから学んで、かつては朝貢に来ていた小国がいきなり強くなってこちらを軍事的に打ちのめし、その後もしつこく侵略を繰り返した。それはようやく撃退したけれど、そうなったら今度はアメリカの威を借りてなにかと圧力を掛けてくる。(P190)

○私は一人になってしまった。母一人子一人で生きてきて、私を日本に送り出して、その代わりに母自身は国への私の忠誠を担保する人質になった。ウルムチの虜囚となった。/そして、亡くなった。・・・私は彼らの手から逃れた、母の死によって。・・・母を失うことと引き替えに得た自由をどう受け止めていいか私にはわからない。/でも、母ははじめからそのつもりで私を日本に送り出したのだ。管理官が押しつけた条件を承知の上で、それを出し抜きましょうと言って、ためらう私の背中を押した。出し抜く方法が自分の死であることを母は知っていたのだろうか。(P292)