とんま天狗は雲の上

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アートとエンターテイメントの違い あいちトリエンナーレの意義

 愛知県で8月下旬から「あいちトリエンナーレ2010」というイベントが開催されている。「都市の祝祭」をテーマに、愛知芸術文化センター名古屋市美術館、それに長者町納屋橋の空き店舗、倉庫などを利用して、現代美術作品の展示やパフォーマンス等が行われる催事である。
 全国的な知名度は低いだろうが、最近の地元新聞では、「既に30万人が来場。予定参加者数を上回る盛況」という記事も掲載されており、「ホンマかいな?」という気もしたが、半強制的に購入させられたチケットもあったことから、先週の3連休を利用し行ってきた。
 会場が分散しており、また期間中、さまざまなパフォーマンスが行われているということで、どこへ行ったらいいのかと迷ったが、愛知県が中心的に取り組んでいるということなので、まずは愛知芸術文化センターから行くことにした。
 建物内に入っても右往左往、どこへ行ったらいいかわからなかったが、とりあえず10階の県美術館へ。入口にドーンと幼稚な絵。「これの何がいいのか、わからない」。その後も見るもの見るものわけがわからない。途中、30分に1回上映する映像作品があり、これに並んで入場。模型で現実そっくりの世界を表現するもので、この見事さにはびっくり。もう一つ列に並んだ、塩を使った作品でも、その繊細さに驚いた。木彫の動物たちが隠れて並ぶ作品は可愛くて楽しいが、老人のパフォーマンス映像など、やはり理解できないものも多い。
 会場内で、職場の友人夫婦に遭遇。名古屋市美術館でも他の友人と会ったそうだ。やはりこの3連休に、購入してしまったチケットを使用した人は多いようだ。何となく同じ職場の人らしき来場者が多い(どことなくわかるから不思議)。
 散在する会場間を無料で水玉模様の自動車やペロタクシーで送迎するサービスもあるが、予約で2〜3時間待ちとのこと。わが家は車で行ったので、芸術文化センター会場を見終わった後、長者町会場へ車で移動。
 こちらはビルの1偕や空き室・空き倉庫、空き地、ショーウィンドー、ビルの外壁などを利用して芸術作品が展示してある。若手芸術家の作品が多く、観覧無料のものがほとんど。それでも一部は行列ができており、ついつい並んでしまう。
 これは5年前の愛・地球博を経験した愛知県民の性か。購入したチケットは使わなければもったいないというのも愛知県の県民性。しかし万博ほどの楽しさは味わえず、もう二度と来ない、と思った人も多いのではないか。トリエンナーレは3年ごとに開催するが、次回開催は本当にあるんだろうか。知事も替わるので、どうなるか疑わしい。たぶんトリエンナーレと銘打ってしまったので、3年後は開催し、その時に悲惨な結果となって2回で終了、ということになるのではないか。わからないけど。
 でも、長者町会場はそれなりに楽しい。特に、旧玉屋ビルの子供を利用したパフォーマンス作品は来場者の笑いを取っていた。すっかり暗くなった夕暮れ、ビルの外壁に投影された絵画パフォーマンスは通りかかった人の足を止めていた。なかなか面白い。
 しかし、カネを払ってまで見るかと言えば、???。 長者町を舞台に定期的にアートパフォーマンスを行い、現代アートタウンとして再生・活性化を図るというのはアリかもしれない。
 少し前に(財)地域活性化センター主催の地域活性化フォーラム「アートでつくる地域の未来」に参加した。基調講演が城戸真亜子、パネルディスカッションであいちトリエンナーレの芸術監督・建畠哲や写真家の浅井慎平らが参加した講演会・シンポジウムだが、そこで語られた言葉の中で、「アートとエンターテイメントは違う」というのがある。
 確かにあいちトリエンナーレで展示・パフォーマンスされていたのは、アートなんだろう。しかし、来場者に受けていたのは、エンターテイメント性のある作品だ。かわいい、たのしい、おもしろい・・・。
 アートと経済の相性も悪い。作品の販売だけで生活できる芸術家は非常に少ない。しかし、アートもエンターテイメントも鑑賞者の心に訴えかける点では同じだ。だが、カネを払ってでも鑑賞したいと思わせる作品は少ない。無料なら集まるかもしれない。その集客をまちの活性化に利用する。そう考えれば、長者町の試みは成功する可能性がある。しかしアートだけで集客し、経済的に成立させるのは難しい。
 であれば、アートは、少数のパトロンと芸術家との小さな世界の中で完結せざるを得ないのではないか。現在の愛知県知事は、そうしたパトロンになりたかったのだろう。もちろん、パトロンが個人として存在することが困難な現在の日本にあって、行政がその役割を果たすことは、芸術が社会の安定装置としての役割を果たしている限りにおいて、必要な活動だと考える。しかしどこまで?
 あいちトリエンナーレはいつまで継続されるのだろうか。アートと社会の幸福な関係はいかにあるべきか。アートの側から地域活性化を効果として挙げるのは、アート自体の領域を縮小させてしまうのではないかと危惧する。
 ここまで難しく考えなくても、アートとは社会にとって、庶民にとって何か、を考えさせる契機にはなる。あいちトリエンナーレの意義は案外そんなところにあるようだ。