とんま天狗は雲の上

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半年を目処に復興計画を公表せよ

 東日本大震災やフクシマ原発事故の被災者がどうして被災地から離れられないのか。漁業や水産加工業などの主力産業が基盤から破壊され、これから元のとおりに復興するのは非常に困難だし、津波災害を受けた低地にもう一度住もうというのも理解し難い。
 復興させるにしてもその間の生活をどうするのか。国や東電に請求するのは当然としても、満足いく損害賠償や生活補償が得られるとは限らない。再就職が難しい高齢者は仕方ないとしても、単身者や子供を抱える若中年家族などは、次第に職を求めて、他地域へ移住を始めるのではないか。と考えていた。
 しかしまだその動きは見えない。今はまだ、国等により被災者を対象にした生活再建への新たな支援策が提示されるのではないかと注目しているのだろうか。東電の100万円支給に対して、これでは全然足りないという声が上がった。それは理解できるが、その先の方策が見えてこない。
 「東北には出稼ぎ文化がある」と言った先輩が今度は、「被災した人の多くは、生まれてから他の地で生活した経験がない人が多い」という趣旨のことを言う。確かに全国的には大学進学率こそ50%を超えたが、かつての専門学校や短大が大学になっているものも多く、親元を離れて生活した経験のある人の割合はもっと低いと思われる。ましてや50歳以上では旅行を除いて7割方は地元から離れたことがないのではないか。
 こうした人々を対象に、「被災地では生活再建は難しいから移住せよ」と言っても、「はい、そうですか」とはなり難い。
 自分に即して考えてみる。例えばフクシマ原発が大爆発して日本列島に住み続けることが難しくなったと想定しよう。外国に親族や友人がいる人は、そこを頼って外国に避難するかもしれない。外国居住経験がある人及びその家族も決断がしやすいだろう。だが、英語はしゃべれない、海外へ行ったこともないという大部分の国民は、なかなか外国へ移住することに踏み切れないのではないか。
 もちろん私もそうだ。その時にどうすれば移住しようと決断できるのか。日本人村をつくり、そこでこれまでと同様、日本語で、日本の慣習で生活できる。働く場もあって、これまでと同様に働くことができ、生活レベルも大きく落ちることはない。そういう条件が明示されておればどうか。
 今は政府から移住についての明確なビジョンも語られないし、かと言って、復興についてのビジョンも皆目方向が見えてこない。阪神大震災のときはもっと国の動きが早かった・・・のだろうか?
 ある会社から届いたメールマガジンに、「阪神大震災をふりかえる」という記事が載っていた。それによると、概ね1週間で被害の全容が見えてきて、仮設住宅の受付も開始されている。スーパー・コンビにも一部入手困難な商品もあるが、かなり回復したようだ。
 2週間後には、水道は40万世帯で断水、ガスも約1割しか回復していないものの、仮設住宅の第1号が完成している。さらに1ヵ月後には、市営地下鉄が全線開通。建築制限がかけられる中、自力でプレハブ小屋を建設する人が現れた。ただし瓦礫の撤去は手付かずの所が多かったと言う。
 さらに3ヵ月後、ようやく水道とガスが一部臨海部を除き復旧。新幹線も復旧した。瓦礫の撤去も終わりが近づき、被災地の各所で自治会、行政、コンサルタント等による復興まちづくりが本格化。一方で、ボランティアはこの頃から激減し、避難住民が自治会を組織して活動を始めたと言う。
 神戸市が復興計画を策定したのは6月、兵庫県復興計画は7月。約半年かかっている。そして1年後でもまだ10万人近くの避難者がいた。ただし多くは仮設住宅に居住していたようだ。
 こうして振り返ってみると、東日本大震災の方が被害の規模が大きく、復旧に手間取っている感もあるが、1ヶ月遅れ程度で追いかけているのではないか。しかし、半年後には県・市から復興計画が公表されている。これは被災者にとっては大きな力になったように思う。移住するにせよ、被災地を復興するにせよ、早期に前途を見せることが重要だ。すぐには難しくとも、半年程度では復興計画を公表することが必要だ。それも生活がイメージできる具体的なものを。