とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

東京プリズン

 昨年話題になった作品。先に読んだ「資本主義という謎」で本書が紹介されており、読もうという気になった。「資本主義という謎」では、バブルや好景気で沸いた1980年代こそ夢や幻の時代で、失われた10年と言われる90・00年代の方がリアルではないかという文脈で紹介されるが、本書は80年代を題材とした本ではなく、あくまで日米関係を主題にしている。
 筆者自身の1980年、15歳でのアメリカ留学の経験をベースに、マリ・アカサカと現在を生きる赤坂真理との電話での交信、2010年を生きる筆者と母親との交信、少年のバイクにつかまって辿り着いた埋立地=アメリカ文化の象徴としての東京ディズニーランド、謎のロッジ、ヘラジカ
 メイン州での留学中の日々、中でも東京裁判を模したディベート・シーンを核に、1980年のママへの電話から妄想と現実と妄想と妄想と・・・不安と寂寥と渇望と・・・母への愛を求め、真実を求め・・・。母は東京裁判で通訳を務めていたらしい。だがそのことも定かではならないまま、ディベートの場に立たされる。
 小さい人(リトル・ピープル)。村上春樹みたい。ヘラジカ(大君)。宮崎駿のよう。結合双生児。ベトナム戦争枯葉剤の被害者、ベトちゃん・ドクちゃん。さまざまなイメージが浮かび上がっては消えていく。消えては浮かび上がる。そして理知的な少年アンソニーとの出会いから少しずつ東京裁判への理解を深めていく。運動部の英雄クリストファーから語られる日本政治システムと天皇論。天皇とは、神とは、戦後とは・・・。
 同じ事実でも英語で語るのと日本語で考えるのでは全く違う様相で見えてくる。日本語ですら、実は「漢字」という中国文化に依って成り立っている。日本人はまだ本当の意味で戦後を乗り越えていない。本当の意味の日本を掴んでいない。戦後、アメリカから与えられた「民主主義」の損耗が目立ってきた現在、新たな日本独自の神話が求められている。
 最後に東日本大震災の体験が描かれる。この地・この時から日本はいかに立ちあがっていくか。戦後のようにアメリカを受け入れるのではなく、自らの足で、自らの力で、雄々しく立ち上がる。そのためにはまず、アメリカが犯した罪を指摘し、乗り越える必要がある。天皇とは何か、飲み込む必要がある。それは「中心の虚無」か?
 筆者は15歳の留学失敗を乗り越えることをこの小説に託したと言うが、それは同時に日本人一人ひとりに、いや一人を越えて、日本の人民(ピープル)に課せられた宿題である。その時初めて、日本は日本になれるのかもしれない。アメリカと日本から東京裁判を見ることで、日本とは何かを問う小説である。そして答えは書かれていない。

東京プリズン

東京プリズン

●Iは私とか僕とか拙者とかとちがって関係でできていない。・・・天皇ヒロヒトとして”I”、「私は」、と発語しただけで、奇妙な感覚に襲われた。・・・そしてその人は”I”という英語の体感でこらえがたい。自分が世界の中で唯一無二のものとして際立つのではなく、反対に、自分が透明になってひとつの穴となっていく感覚。圧倒的に無防備で、それが一国の最高責任者だったとは到底信じられないような感覚。(P281)
●私たち自身が、新しい神話をつくる必要があった。その神話と、新しい契約を結ぶ必要があった」・・・「そう、あのときアメリカは、アメリカ合衆国軍、通称北軍は……神話をつくった。神話が、ぜひとも必要だった。それがあの有名な『ピープルの、ピープルによる、ピープルのための、政府』。人びとには新しい神話が必要なのよ、こういうとき。こういうとき、そう、人がたくさんたくさん、死んだようなとき、たくさん殺したとき、あるいはたくさん殺すために、そしてそのためにたくさんの同法も傷つき死んだとき。・・・日本人は。神話がない。アメリカのくれた神話はいいものであったけど、それでは長くは生き延びられない、(P296)
●<明治維新>だって・・・明らかにそれは<復古>なのだけれど、私はなんとなく<革命>だというふうに思ってきていて、<レストレーション>と言われるとびっくりしてしまう。英語のほうが本質を掴んでいる。<維新>と呼んだことでわからなくしていたことだって、私たちには多かったのだ。漢字は日本人にとって一種のブラックボックスになっている。分かった気になるだけで、本当はわかっていない。(P369)
●”お前の国の最高指導者だった天皇は、男ではない”・・・男でなければ女なのだろうか。この疑問に、答えられないまま私は感じていた。図星をさされたみたいに。なるほど私の国の人たちは、戦争が終わって、女のようにふるまったのではないかと。男も女も、男を迎える女のように、占領軍を歓迎した。・・・そもそも幕末から、黒船ショックによって日本人は、<自分たちは男ではない>と自ら感じて侮辱に思い、それで明治の富国強兵へと突き進んだのではないか。そしてそれに敗れ、男がやって来たら、女としてもてなした。(P378)
●「霊の作用は、たとえるならコンパスの中心となることではないでしょうか。・・・しかし、コンパスの針の先が円の中心なのではありません。中心とは、針が穿つ小さな小さな穴でもありません。円の中心には何もない。そこは真に面積のない場であり虚無なのです。そこは何でもどこでもありません。しかしそこ、『中心の虚無』がなければ円は生まれ出ないのです。そんな虚無が、必要なのです。世界に、いや宇宙には」(P437)
●自分たちの過ちを見たくないあまりに、他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ、私たちの負けだったと、今は思います。自分たちの過ちを認めつつ、他人の罪を問うのは、エネルギーの要ることです。でも、これからでも、しなければならないのです。私は人民であり、一人ではありません。人民は負けることはありません。一人が負けても、すべてが負けることはないからです。(P440)