とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

日本サッカーに捧げた両足

 木之本興三氏の名前はJリーグ発足以降、何度も耳にした。Jリーグ事務局にいて事務局長も務めた人だ。だが最近その名前をあまり聞かない。前号の「サッカー批評(64)」でとっくにJリーグ事務局を去っていたことを知った。難病で腎臓を摘出し、人工透析が必要な身体であったこと、さらに別の難病で両足を切断したこともその記事で知った。そこで紹介されていた本書をどうしても読みたくなり、図書館へ購入のリクエストをした。
 私は木之本氏は読売ヴェルディ出身かと勘違いしていた。ヴェルディ再建の際に何らかの関わりがあったのかもしれない。しかし木之本氏自身は古河電工の出身で、古河電工サッカー部入部時の監督が川淵最高顧問だった。その後、わずか4年で難病のグッドパスチャー症候群を発症し、腎臓を摘出。週3回の人工透析を余儀なくされ、職場も古河電工健保組合に移した。
 同時に古河電工サッカー部を代表してJSL運営委員に参加。それ以来、常に日本サッカー激動の歴史の渦中にいた。釜本のヌードポスター、選手のプロ登録制度、Jリーグの発足、横浜フリューゲルス消滅事件、W杯日韓大会。しかしベスト16に進出したトルコ戦の当日、激痛に襲われ、バージャー病と診断された。入退院を繰り返してようやく職場復帰した初日に鈴木チェアマンからクビを言い渡される。
 その後、2007年に右足切断、2008年には左足も切断し、両足を失ってしまう。
 本書では主にJリーグ事務局を失職する2003年までの出来事を振り返っている。まさに日本サッカー界の中心で働いてきた人の回想だけあって、これまであまり明らかにされてこなかった様々なエピソードが綴られている。中でも川淵最高顧問との関係は興味を惹く。
 腎臓を摘出してお見舞いに訪れた川淵氏から「ドナー登録したぞ」と言われ、涙が止まらず、「生涯かけて尊敬できる人に出会った。もう一生、絶対に逆らってはいけない」と思ったこと。横浜フリューゲルスマリノスの合併にあたっての川淵チェアマンの独走と、疑問を感じつつも止められず、事務局員から辞表も出される中、「川淵チェアマンを守る」と宣言したこと。そして突然のクビ宣告にあたり、川淵会長の非情な態度と言葉。
 退任にあたり、協会及びJリーグの関係者に一言挨拶をしたいという願いも聞き届けられず、そのことを「唯一の恨み事」と言う。そして第6章「耐えて夢を追う」では、既に鬼籍に入った方も含め、多くの方への感謝の言葉を綴る。
 木之本氏がいて現在の日本サッカーがある。もちろん川淵氏や釜本氏、長沼氏や岡野氏、村田氏、森健兒氏、その他大勢の人々のそれぞれの関わりがあって現在の状況があることは間違いがない。しかし中でも木之本氏の功績は大きかったのではないか。「日本サッカーに捧げた両足」というタイトルはまさに真実であり、木之本氏の両足の代償の上に現在の日本サッカーがあると言って過言ではない。

●腎臓切除手術からの退院後は、週に3日の人工透析日以外、どこにも出掛けず、ひたすらじっとしていた・・・今、何がしたいのか。何を求めているのか。・・・願いはひとつ。「社会と関わりながら生きていきたい。仕事がしたい。仕事を通して社会の役に立いたい」だった。(P74)
●「実は日産本社、全日空本社の社長から電話があった。合併すると言ってきた。オレは認めることにした。木之本よ、オマエは一切、口を挟むな。これに関してはオレ一人ですべてを仕切る。絶対に口外するな。・・・」/自室に戻り、頭の中で聞いたばかりの話を整理しようと努めた。「川淵さん一人で仕切っていい問題ではないのではないか。本来ならJリーグの理事会が扱うべきもの。いや、事態の深刻さを考えるとJリーグ全体で、日本サッカー全体で共有すべき問題ではないか。・・・川淵さんはどうしてしまったのか」。/・・・聞いたばかりのセリフを反芻しているうちに、いつしか「川淵さんの”いつもの癖”が出てしまったのではないだろうか……」という思いに至った。(P238)
●地域密着を旗印にJリーグをグイグイと牽引する川淵チェアマンの一般的なイメージとはかけ離れているかも知れないが、川淵チェアマンはビジネスライクなリーダーで、何かを決断する際、情にほだされるタイプではなかった。鳥栖サポーターたちの献身的な存続アピールにも、あまり心を揺り動かされることもなかったように思う。(P260)
●心の底から足がなくなることに恐怖を覚えた。死を受け入れることは誰にとっても難しいことだが、もしかしたら、それよりも違った意味で受け入れることが困難な作業かもしれない。/死には誰も抗えない。ゆえに諦めるしかない。しかし、足を切断することには「どうしてこうなったのか? 何とかならないのか?」と煩悶する日々が死ぬ寸前まで付きまとう。精神的に耐えられるのか? 言いようのない恐怖心に包まれた。(P302)
●川淵さんから・・・クビは撤回するようにと鈴木さんに言って下さい。お願いです。サッカー界のために頑張りたいのです。・・・」/涙を流しながら懇請した。大の大人が涙をボロボロこぼしながら、何度も「サッカー界で頑張りたい」を繰り返した。/「許さない」 身体を折り曲げて懇請する男の頭の上から聞こえた言葉は、これだけだった。ただ「許さない」と言ったきり、川淵会長は何の言葉も発そうとしない。(P311)