とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

蚊がいる

穂村弘を最近知った。短歌から入るのは難しそうなので、まずはエッセイから読んでみた。雑誌や新聞に連載された約70編のエッセイを収録。一編は平均約3ページ。一編ずつ新しいページから始まるから、各編の後ろの空白も多い。短くてすっと読める。
 女々しい。うじうじ。気弱で内気。どうでもいいことにこだわり、決断できない。そんなエッセイばかりが並ぶ。始めのうちは「わかるーっ」と面白く読んでいたが、次第にしっかりしろよ、と言いたくなってくる。でもきっと、こんなうじうじとした気持ちを抱えて生きている人間って多いんだろうな。もちろん僕もその中の一人。
 それで、このどうでもいいようなたわごとをずっと読み続け、そしてあっという間に読み終わってしまう。あれ、で何が言いたいんだっけ。そうか、きっとみんなこんなふうに生きているんだろうな。そして慰められているんだろうな。でもさすがに最後まで読み終わる頃には少し食傷気味。
 短歌って日常を読む芸術だから、歌人がエッセイを書くとこんな内容になってしまうのか。だらだらだらだら。でもそれが心地良い。っていう人は、やっぱり多いんだろうな。

●男女間におけるこの違いは何に由来するのだろう。おそらくは、客体としてみられることに関する経験の差によるのではないか。女として他者の視線に曝されながら生きる時間のなかで、彼女たちは「服を選ぶ私」と「服を着た私」、すなわち主体としての私と客体としての私の間で視点を切り替えることを学ぶのだろう。(P18)
●世界とか他者とかコミュニケーションに対するズレがまず先にあって、一瞬ごとに痛みを感じるので、結果的に自意識過剰になっている、と思いたい。もともと内気なわけじゃなくて、波長がズレているこの世界では、うまく生きることができなくて心を削られるから萎縮してしまうのだ。しかし、結果としてこの内気さは致命的だ。(P27)
●部屋の鍵を握って靴を履いて玄関のドアを開ける。そこには、どのテレビ番組よりも、どの漫画よりも、曖昧で地味で捉えどころのない景色が広がっている。このなかに現実の全てが詰まっているのだ。でも、白っぽくて、どんよりとして、ちっともわくわくしない。次、と呟く。何も起こらない。(P96)
●彼女は自分の赤ちゃんが自分よりも遥かに大きく強くなったことを、心から信じられるんだろうか。このような感覚の根っ子にあるのは、自分の運命は自分の体と共にある、ということだ。一人一人がただ一つだけの運命をその体のなかに抱えている。(P183)
●怒れる人っていうのは、たぶん世界や人間に対するある信頼感を持ってるっていうか、少なくとも相手が自分と同質、同じものだって感覚がないとダメで、凄く深いところで他者を恐れてるとそれができないんだと思う。(P222)