1年遅れで2018年ノーベル文学賞を受賞したオルガ・トルカチュクの邦訳としては2作目の作品。ポーランドでは2007年に出版され、翌年、ポーランドの文学賞ニケ賞を受賞。2017年にブッカー国際賞を受賞し、翌年のノーベル文学賞につながった。「昼の家、夜の家」と同様、116もの断章で構成され、ひとつの作品となっている。
テーマは、旅、移動といったところか。「わたしはここにいる」と題する最初の一編は、幼少時の取り残された自分の果てに、自分の存在を認識するところから始まり、最終間近に置かれた同名の一編では、たぶん死への旅立ちが描かれている。「わたしたちはあそこをめざしている。『どこにいるかは問題ではない』。どこにいようと、関係ない。わたしはここにいる。」(P395)
そしてエッセイのような短編の間に挿入される物語は数知れず。旅先のクロアチアで突然、妻と子供が消えてしまうクニツキの話。船乗りのエリックの人生。人体標本学者のブラウ博士、アキレス腱と名付けた解剖学者フィリップ・フェルヘイエンの来歴。本書のタイトルにもなった「逃亡派」は突然家出をした妻アンヌシュカと地下鉄で寝泊まりする逃亡派の女の話。さらにはショパンの心臓を運ぶ姉のルドヴィカ。「神の国」はたぶんオーストラリアから故郷のポーランドまで行って、かつての恋人を安楽死に導く話。そして後半に再度書かれる「クニツキ」は突然戻ってきた妻と息子に戸惑い、一人で旅に出る。最終盤の「カイロス」ではギリシア宗教学の教授の旅先での死を描く。
間に挟まれるエッセイや短編で扱われるのは、空港、ホテル、旅行心理学、地図・・・その他、旅を連想させることども。ネット検索に関する文章も面白い。そして、何と言っても、人体解剖に関する短編が目を惹く。筆者の旅の目線は、世界に広がるだけでなく、人体の内部へも深まっていく。広く、かつ、深く。また、空間だけでなく、生(性)から死へと時間的にも旅をする。自分自身を出発点に、身体の内部へ、時間の彼方へ、世界の果てまで。
400ページ超えはさすがに長かった。それでも所々挟まれる短い断章に救われつつ、最後まで完読した。その広さ、深さは確かにノーベル賞にふさわしいと言える。1996年に執筆された「プラヴィエクとそのほかの時代」も既に邦訳刊行されている。こちらの作品にも期待しよう。
○みんな帰ってしまった。庭のコンクリートのプレートが、暗闇を吸いこんで消えていく。…出かけたくても、どこへも行けない。わたしの存在だけが、はっきりとした輪郭をとりはじめ、ふるえて、ゆれて、わたしに痛みをもたらしている。そうしてある一瞬に、わたしは真実をみつけた。ほかにどうしようもない真実。わたしはここにいる。(P4)
○思うに、わたしみたいなひとは多い。つまり、消えているひと、存在しないひと。彼らはいきなり到着ロビーにあらわれて…部屋の鍵をわたされるとき、ようやく存在しはじめる。彼らはすでにわかっているのだ。自分たちが不変の存在ではないこと、自分たちが、場所や、一日のなかの時間や、言語や、都市や、その気候に従属しているということも。流動、移動、錯覚。文明化されているということは、こういうこと。(P53)
○ゆれろ。動け。動きまわれ。それが唯一、やつから逃げる道。世界を支配するものに、動きを制する力はない。やつも承知だ、動くわれわれの身体が聖なるものだと。動くときだけ、やつから逃げられる。…だから動け、ゆれろ、ゆすれ、行け、走れ、逃げろ。…家を棄てろ、行け、逃亡せよ、さもなくばアンチキリストにつかまる。持てるものをすべて残して、土地を棄てて、旅に出よ。(P258)
○インターネットは嘘つきだ。たくさんのことを約束している。…探しものをみつけよう。任務、実現、報酬。でもじっさいのところ、この約束は餌なのだ。だってだれもが、一瞬にして恍惚となり、催眠術にかけられてしまうだけだから。すぐに小道は枝わかれしはじめる。…それをたどる、いつも目的を追いかける、でもその…目的の地点は忘れられる。最終的な目的は目の前から去り、またたきする間に、つぎからつぎへとあたらしいサイトが消えていく。(P344)
○海の水位は、ことばや、概念や、記憶をのみこみ、取り返しがつかないほどに上昇した。街のあかりはその下に消え…あらゆるネットワークは無言の蜘蛛の巣に変わり…スクリーンは消えた。そしてとうとう、このゆっくりとした、限界のない大洋は、病院のほうに近づきはじめ、アテネ自体が血にのみこまれた。…ギリシアのやさしい看護婦の手が、彼の顔をさっと敷布で覆うまで。(P394)