とんま天狗は雲の上

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資本主義の終焉と歴史の危機

 水野和夫というと、「100年デフレ」からの三部作を読まねばならないのだが、なかなか手が出ない。これまで読んできた新書本はいずれも共著や対談本だったが、初めて水野氏の単著としての新書を読んだ。書かれていることはこれまでの本の中で主張してこられたことを変わらない。日本の今後の可能性と危機について、これまで以上に明確に評価し、また警告を鳴らしている点が目を惹く。
 「長い16世紀」や「低金利革命」などこれまで水野氏が主張してきたことがまず整理される。一言で言えば「資本主義の終焉」だ。この状況にあって、日本こそが新しいシステムを生み出すポテンシャルが最も高いと言う。これはまさに日本こそが世界で最も早くゼロ金・ゼロ成長・ゼロインフレに突入したからである。
 そしてこの条件を生かし、かつクラッシュせずに次の段階に進むためには、日本の預金の増加が終わる2017年までに財政均衡を図るべきだと言うのだが、現在の安倍政権、そして万一政権交代があったとしても、ほとんどそれは不可能だろう。するとやはり我々の経済はハード・ランディングせざるを得ないのだろうか。中国バブル崩壊から始まる世界的デフレと経済破綻、そして内乱や暴力的な闘争、資本主義の終焉。
 それを思うと今から絶望的な思いに囚われる。エブラ出血熱の世界的蔓延もその予兆かもしれない。嫌な時代が近づいている。

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

●グローバリゼーションの時代では、このバブルが自国内に起きるかどうかさえわかりません。量的緩和をしたところで、ドルも円も国内にはとどまらないからです。/現に新興国に流れ込んだマネーは、新興国の不安定性を高めることにつながり、・・・市場は大きく揺れています。量的緩和政策の景気浮揚効果は、グローバリゼーションが進む以前の閉鎖経済を前提とした国民国家経済圏のなかでしか発揮されないのです。(P45)
●今までは二割の先進国が八割の途上国を貧しくさせたままで発展してきたために、先進国に属する国では、国民全員が一定の豊かさを享受することができました。しかし、グローバリゼーションの進んだ現代では、資本はやすやすと国境を越えていきます。ゆえに、貧富の二極化が一国内で現われるのです。(P89)
●中間層が、民主主義と資本主義を支持することで近代システムは成り立っていました。/現代のグローバル資本主義では、必然的に格差が国境を越えてしまうので、民主主義とは齟齬をきたします。したがって、日本で1970年代に「一億総中流」が実現したようには中国で十三億総中流が実現しないとなれば、中国に民主主義が成立しないことになり、中国内で階級闘争が激化することになるでしょう。(P90)
●デフレも超低金利も経済低迷の元凶だと考えていません。両者のどちらも資本主義が成熟を迎えた証拠ですから、「退治」すべきものではなく、新たな経済システムを構築するための与件として考えなければならないものです。・・・「脱成長」や「ゼロ成長」というと、多くの人は後ろ向きの姿勢と捉えてしまいますが、そうではありません。いまや成長主義こそが「倒錯」しているのであって、結果として後ろを向くことになるのであり、それを食い止める前向きの指針が「脱成長」なのです。(P130)
●日銀の試算では、2017年には預金の増加が終わると予測されていて、そうなると外国人に国債を買ってもらわなければならなくなります。しかし、外国人は他国の国債金利と比較しますから、・・・金利は上昇するでしょう。金利が上昇すれば利払いが膨らみますから、日本の財政はあっという間にクラッシュしてしまうのです。・・・ですから、そうならないために、財政を均衡させなければなりません。(P192)
ミヒャエル・エンデが言うように豊かさを「必要な物が必要なときに、必要な場所で手に入る」と定義すれば、ゼロ金利ゼロインフレの社会である日本は、いち早く定常状態を実現することで、この豊かさを手に入れることができるのです。/そのためには「より速く、より遠くへ、より合理的に」という近代資本主義を駆動させてきた理念もまた逆回転させて、「よりゆっくり、より近くへ、より曖昧に」と転じなければなりません。(P208)