とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

街場の戦争論

 時代がいよいよきな臭くなりつつある。安倍総理はアメリカへ行って気持ちよさそうに軍拡路線を吹聴してきた。唯一の抵抗勢力と期待した公明党もアリバイだけで実質後押し役となり、共産党は口だけ。メディアは体制翼賛会と化し、多くの知識人も手をこまねいている。そんな中、内田先生はどんな戦争論をぶつのか、期待もし、興味もあった。
 僕らがいるのはまさに「戦争間期」ではないか、と内田先生は言う。そうした状況を招いているのは、先の大戦への対応を誤ったせいではないか。あまりに完膚なきまでに負けたため、国のあり方、その根となるようなものまで失ってしまったのではないか。だからもう一度、戦争前の日本と戦後の日本を架橋する必要がある。そうでないと本当の日本、本当の日本人は取り戻せない。でもそんな人はもう生きていない。大日本帝国からやり直し、帝国臣民からやり直すとすると、誰を呼び戻せばいいのか。ひょっとして昭和天皇に行き着くのではないか(ちなみに本書には「昭和天皇」という言葉は一切使われていないので要注意。単に私がそう感じたということです)。だが、昭和天皇を担ぎ出すことは、まさに右寄りの人たちこそ願っていることではないのか。
 内田樹氏は日ごろから「自分は愛国者だ」と言っている。そのことは事実だと思う。だからその帰路として昭和天皇に行き着くのは仕方ないように思う。ただ、劇薬だと思うだけ。しかし使わねばならない薬なら使わねばならない。昭和史を語るのに昭和天皇に触れずに語ることはできない。
 だから、戦争論を語り、戦前の日本からの継続を言うのであれば、天皇制を議論する必要がどうしても出てくるのではないか。
 ということで、次は「街場の天皇論」をお願いしたい。社会を想像力の刀で切ることは大いに楽しい。しかし楽しんでばかりいても戦争の時代はやってきてしまうとすれば、やるべきことは既に「楽しむこと」ではないのかもしれない。楽しいだけでない、想像力の正しい使い方を学ぶときが来ているようだ。時代は既に「戦争間期」に入っている。

街場の戦争論 (シリーズ 22世紀を生きる)

街場の戦争論 (シリーズ 22世紀を生きる)

●僕たちが今いるのは、二つの戦争つまり「負けた先の戦争」と「これから起こる次の戦争」にはさまれた戦争間期ではないか。これが僕の偽らざる実感です。/今の時代の空気は「戦争間期」に固有のものではないのか。その軽薄さも、その無力感の深さも、その無責任さも、その暴力性も、いずれも二つの戦争の間に宙づりになった日本という枠組みの中に置いてみると、なんとなく納得できるような気がする。(P3)
●戦争をおこない、「専制と隷従と圧迫と偏狭」を地上的現実として出現させた責任を問われるはずの大日本帝国臣民の姿がここにはいない。その場所にいて、その手を汚した人たちが、そ知らぬ顔でそのまま「私は日本国民です」と名乗っている。・・・「臣民」から「国民」への引き継ぎがなされていない。それが問題なのです。どうあっても「引継ぎ」がなされるべきだったのです。(P76)
国民国家の目的は「成長すること」ではありません。あらゆる手立てを尽くして生き延びることです。あらゆる手立てを尽くして国土を守り、国民を食わせることです。国民国家は文字通り「石にしがみついてでも」生き延びなければならない。国土が焦土と化しても、官僚機構が瓦解しても、国富を失っても、人口が激減しても、それでも生き延びなければならない。国家はそのための制度です。(P162)
●巨大な自然の力が人間を通じて発動し、暴威をふるうことを恐怖する気持ちに洋の東西の違いはありません。違うのは、ヨーロッパはそれを功利的に利用するか、それが不可能な場合には封印しようとしたのに対して、日本では「整えられた身体」によって自然の力を制御し、それと共生する方法を探ったことです。/ヨーロッパでは、人間の世界と自然界を媒介したのは科学技術です。・・・それに対して、人間の世界と自然界を「身体という半自然物」によって架橋しようとした点に日本の独自性があったのだと思います。(P221)
●中国がアメリカと戦争するリスクがこの20年で逓減したのは、「留美派」と呼ばれる「アメリカ留学経験者」が中国の政官財・メディア・学術すべての領域で進出してきたからです。・・・彼らは一人一人がおそらくアメリカの中枢にそれぞれのカウンターパートを「協力者」として持っている。アメリカのカウンターパートからアメリカ政府の対中国政策についてのある程度機密性の高い情報がリークされる。その「お返し」に中国政府の対アメリカ政策についての機密情報をリークする。・・・そのようにして質の高い情報を交換し合ったことの結果・・・両者はそれぞれに個人的利益を確保すると同時に、両国間の相互理解を深め、無用な対立や戦争のリスクを回避することができる。(P236)