「日本の覚醒のために」に続いて内田樹を読んだ。昨年の天皇の「象徴としてのお務め」に関するおことば以来、天皇制や現天皇に対する関心が高まった。その後、今年に入って退位特例法が制定され、退位の時期や新元号の制定など、着々と退位に向けた検討が進められている。こうしたことと併せて、現天皇が様々な場で語られた言葉や行動にも多くの注目が集まっている。現天皇をどう捉えるかは人それぞれに色々な考え方があるだろうが、私自身について言えば、昨今の天皇のお言葉には親近感を覚え、天皇の存在やお考えに肯定的な気持ちを抱くことが多くなった。本書は、天皇制の意味や必要性を肯定的かつ理論的に捉えて、こうした天皇観を補強してくれる。本書の中で内田自身が正直に「考えを変えました」と表明している点も好ましく感じる。まさに日本は天皇制の国なのかもしれない。
一方で、こうした天皇を自らの政治野心のために利用しようとする輩が、これまでも絶えず、今また跋扈していることは憂慮に絶えない。こうしたことなども含めて、内田樹が丁寧に説明をしてくれる。本書は様々な媒体で書いたり語ってきたものを集めて編集したものであり、特に2部以降は、直接、天皇制等について語っているわけではないが、民主主義や安倍政権、自民党の改憲草案などに関する記事を読むと。さらに天皇制の意義や意味が見えてくる。また、書き下ろしの特別篇「海民と天皇」では、源平合戦の真実を妄想的に描いている。これもまた面白い。
天皇の存在というのは意外に現在の日本の政治状況において、大きな政治的意味を持っているかもしれない。昨年の天皇のおことばは、参院選に勝利して改憲の動きが出てきた政治状況において、「安倍首相に改憲を思いとどまるようにとのシグナルを送った」(P38)という海外メディアの解釈は確かにそうなのかもしれないと思う。
○「象徴的行為」という表現を通じて、陛下は「象徴天皇には果たすべき具体的な行為があり、それは死者と苦しむものの傍らに寄り添う鎮魂と慰謝の旅のことである」という「儀式」の新たな解釈を採られた。そして、それが・・・具体的な旅である以上、当然それなりの身体的な負荷がかかる。だからこそ、高齢となった陛下には「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくこと」が困難になったという実感があった。(P16)
○天皇の第一義的な役割が祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願することであること、これは古代から変わりません。陛下はその伝統に則った上で、さらに一歩を進め、象徴天皇の本務は使者たちの鎮魂と今ここで苦しむものの慰藉であるという「新解釈」を付け加えられた。・・・現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。(P17)
○靖国神社へ参拝する日本の政治家たちは死者に対して誠心を抱いてはいない。そうではなくて、死者を呼び出すと人々が熱狂することを知っているから、そうするのである。/どんな種類のものであれ、政治的エネルギーは資源として利用可能である。隣国国民の怒りや国際社会からの反発というようなネガティブなかたちのものさえ、当の政治家にとっては「活用可能な資源」にしか見えないのである。(P61)
○僕は久しく天皇制と民主主義というのは「食い合わせが悪い」と思っていました。でも、今は考えを変えました。食い合わせの悪い2つの統治原理を何とか共生させるように国民が知恵を絞る、その創発的・力動的なプロセスが作動しているということがこの国の活力を生み出している。その方が単一の統治原理で上から下まですっきり貫徹された原理主義的な国家よりも「住み心地がよい」。そう考えるようになりました。(P71)
○自民党の改憲草案は今世界で起きている地殻変動に適応しようとするものである。その点でたぶん起草者たちは主観的には「リアリスト」でいるつもりなのだろう。けれども、現行憲法が国民国家の「理想」を掲げていたことを「非現実的」として退けたこの改憲草案にはもうめざすべき理想がない。誰かが作りだした状況に適応し続けること、現状を追認し続けること・・・つまり永遠に「後手に回る」ことをこの改憲草案は謳っている。(P151)
○海部は・・・水と風の自然エネルギーを・・・飼部は・・・野生獣の自然エネルギーを・・・。海部と飼部はいずれも野生のエネルギーを人間にとって有用な力に変換する技術によって天皇に仕えたのである。/とすると、この職能民たちの間で、「どちらが自然エネルギー制御技術において卓越しているか?」という優劣をめぐる問いが前景化したということはあって不思議ではない。・・・そして、そう考えた時に「なるほど、源平合戦というのはこのことだったのか」とすとんと腑に落ちたのである。(P208)