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とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

地方創生の罠

 国の地方創生が掛け声だけで大した成果も上げていないこと。また旧態依然の成長・活性化策はいまやまったく意味がないこと。むしろ「いかにうまく衰退していくか」が課題だという筆者の認識には大いに賛同する。第1章・第2章の「ゆるキャラ」「B級グルメ」批判、「ふるさと納税」「プレミアム商品券」批判もそのとおりだ。しかし第4章で喝破するとおり、国も自治体にも活性化に向けたさしたるアイデアもない。むしろ「なにもしなければ素晴らしい自然が残る」というほうが現実味がある。

 そして第5章では「マイルドヤンキー」批判。第6章の「リニア新幹線」批判と続き、第7章でウーバーやロボットカー(自動運転)に後れを取る日本の自動車業界、さらに第8章「ソーラーパネルによる環境破壊」、第9章「地方銀行の崩壊」、第10章「地方議員・公務員」批判と連なると、いったい筆者は何を言いたいのかよくわからなくなる。日本の政治や行政、大手企業に対して大きな悲憤を持っていることはわかる。で、結局それは「地方創生」批判ではなく、第11章で書かれるように「バラマキ政治」に対する批判だ。

 ということは、筆者は「小さな政府」を信奉する新自由主義者リバタリアンか。結局日本はこのままバラマキ政治を続けていけば、いつかアルゼンチンのようにデフォルトするしかないというのだが、確かにその可能性もあるだろう。ではどうするのか。「いかにうまく衰退していくか」。それについての筆者の提案はない。「おわりに」で「悲観論には未来を変える力があるが、楽観論にはそれがない」(P268)といった開き直りのような文章がある。しかし悲観論を述べるだけでは単に責任回避をしているようにも映る。「楽観論こそが未来を変える力を持つ」という気もする。

 本書は「地方創生」に託けて、現状を悲憤慷慨する本のように思われる。本当の意味で未来を指し示してくれる書物はないものか。日本の未来は依然暗いままである。

 

地方創生の罠 (イースト新書)

地方創生の罠 (イースト新書)

 

 

○人口減が進むこの日本社会で地方が衰退から消滅に向かっていくのは自然の流れであり、これに逆らうことはほぼ無理だ。したがって、むしろ、衰退するに任せつつ、20世紀型の開発・成長志向を捨て、21世紀型のデジタルエコノミー、シェアエコノミーに立脚した「新しい地方」をつくっていくべきだ・・・つまり、”どのようにうまく衰退していくか”が、本来、国も地方自治体も、そこで暮らす住民も真っ先に話し合わなければいけないことで、旧来型の「再生、復活、創生」などを訴えてもほぼ無益だ。/むしろなにもやらない、いままでやってきたことを減らしていく、つまりダウンサイズしていくほうが、私たちは幸せに暮らせるだろう。(P004)

○マイルドヤンキーたちが、本当に今後の消費の主体になりえるだろうか?・・・たとえそうだとしても、このようなライフスタイルを彼らが自分たちの意思でつくり出したのだろうか?・・・そのライフスタイルが自発的なものでないとしたら、マイルドヤンキーの増加は、単に地方経済の衰退がつくり出したにすぎないということになる。/つまり、地方マイルドヤンキーは、「地元を離れたくない」のでなく、「地元でしか生きられない」のだ。(P124)

○財政を拡大させ、それによってバラマキをして国民の支持を取りつけて政権を運営していくと、その結果は最悪になる。コントロールできないインフレが襲い、国民生活は破壊され、結局、国家財政はデフォルトする。これが、アルゼンチンがたどったコースだ。/しかし、国民の多くは短期的にしかものを見ないから、政権を支持し続ける。経済状況が悪いと、国に何とかしてもらいたいと思い、ポピュリズムに染まる。結局、ポピュリズムは国民自身の首を絞めるのだ。(P247)

○私たち国民が、本当に日本再生を望むなら政府に頼らないことである。日本という国は、政府の力によって発展・成長してきたのではない。国民自身が、資源や食料がないなかで知恵を絞り、一生懸命働いてきたから発展・成長してきたのである。/この原点に立ち返れば、これ以上、「大きな政府」にしてしまうと民間の活力はさらに失われる。(P257)