とんま天狗は雲の上

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福島の原発事故をめぐって

 高橋源一郎『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』の中で、本書について、「この中には、今回の原発事故というものを考えるに際して、必要とすべき本質的な知識が詰まっている」と書かれており、興味を持った。2011年8月25日初版発行で、手元に届いたのは2012年4月2日発行の第11刷。それだけ多くの人が本書を手に取っている。
 筆者の山本義隆は東大全共闘代表という経歴を持つ。それゆえの書評というか批判も一部ではあるようだが、私はそんなことも知らないので、純粋に原子力発電を巡る技術的・政治的及び科学史的視点からの評論として読んだ。
 第1章は「日本における原発開発の深層底流」。ここでは、岸信介の時代から、核抑止力の一つとして雁発開発が進められたことを明らかにする。続く第2章「技術と労働の面から見て」では、原子力技術が有害物質の処理が未確定の未熟な技術にすぎないことを指摘する。
 そして第3章は「科学技術幻想とその破綻」。ここでは16世紀のルネサンス期からの科学史を振り返る。突然これまでの章とは違う論調になり戸惑うが、これこそが筆者の専門領域である。科学史を追う中で、ジュール・ヴェルヌの「動く人工島」を取り上げ、ヴェルヌの科学万能批判を紹介しつつ、国家主導科学の時代、そしてその先としての原子力ムラの誕生と実態を暴く。
 わずか100ページ足らずのブックレットながら、簡潔にして十分な説得力がある。原発の問題の全てはここにあるとさえ言える。やはり未熟な技術に頼ることは自殺行為であり、それは人類の自殺行為であることを悟るべきだ。

福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと

福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと

●潜在的核兵器保有国の状態を維持し続け、将来的な核兵器保有の可能性を開けておくことが、つまるところ戦後の日本の支配層に連綿と引きつがれた原子力産業育成の究極の目的であり、原子力発電推進の深層底流であった。(P24)
●有害物質を完全に回収し無害化しうる技術がともなってはじめて、その技術は完成されたことになる。・・・無害化不可能な有害物質を稼働にともなって生みだし続ける原子力発電は、未熟な技術と言わざるをえない。(P31)
通産省原子力産業の保護育成のために、沸騰水型軽水炉と加圧水型軽水炉をそれぞれ年平均1基程度ずつ建設するよう電力業界に要請し、電力業界がそれに応える形で9社による分担計画を作り、それを実施してきたと考えられるのである。つまり電力会社は社会主義計画経済のノルマ達成の優等生であった。(P86)
●強力な中央官庁と巨大な地域独占企業の二人三脚による・・・原子力開発への突進は、・・・多額の交付金によって・・・地方自治体を財政的に原発に反対できない状態に追いやり、・・・潤沢な宣伝費用を投入することで大マスコミを抱き込み、・・・ボス教授の支配の続く大学研究室を寄付講座という形でまるごと買収し、こうして、地元やマスコミや学界から批判者を排除し翼賛体制を作り上げていったやり方は、原発ファシズムともいうべき様相を呈している。(P87)