とんま天狗は雲の上

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「戦後」はいかに語られるか

 戦後70年は一昨年、あっという間に過ぎ去った。「戦後○年」という言い方はいつまで続くんだろう。戦後○年という言い方が永久に続くのならば、明治維新後○年という言い方だって使われ続けてもいいはずだ。そう考えれば、「戦後○年」という表現には賞味期限があることがわかる。筆者はそれを、歴史を語る者の世代で分類する。1930年代に生まれた「戦争経験者」、1940年から1960年代に生まれ、父母から戦争経験を聞いて育った「戦後第一世代」、そして1970年代以降に生まれた「戦後第二世代」。

 また時代も彼らの戦争との関わり方で区分される。「戦争経験者」が自らの「戦争体験」を語った1945年から1965年までの時代。「戦後第一世代」が登場した1965年から1990年までの時代には、「戦争経験者」は戦争を「証言」した。そして1990年以降、戦争は「記憶」の中のものとなり、そして「戦後第二世代」が台頭してきた2015年以降、戦争と戦後は「歴史化」されようとしている。

 筆者の問題意識を表す文章が「あとがき」に掲載されている。

○グローバリゼーションのもとで、「歴史」が消去され、「歴史」の感覚がないままに事が決定されていくなか、「歴史」の場こそが、さまざまな対抗の場となっていることはあきらかであろう。・・・「戦争」と「戦後」の歴史化が、喫緊の課題となっていることの指摘と考察とが、本書の主題となっている。/だが、そもそも、きな臭い現政権のもとで、「戦争」と「戦後」の記憶が歴史化されるとき、あらぬ歴史像が形成されてしまう。いったん歴史化された戦争像と戦後像は、容易には覆しえない。(P198)

 そう、安倍首相が「戦後レジームからの脱却」を主張するとき、そこで定義付けられる「戦後」とは何か、が気になる。それはもはや「体験」や「証言」といった生な言葉で語られる「戦後」ではなく、「記憶」も薄れる中、戦後は「歴史」になろうとしている。古事記日本書紀が当時の政権に都合がよいように史実を書き改められた末の作品だということは誰もが知っている事実である。それと同じように戦後も「歴史」として書き改めようとされているのではないか。歴史学者からの悲痛な叫びとして聞こえる。

 だが本書で、「戦後はこういう時代だった」と語られるわけではない。「戦後」はいかに語られてきたか、語られているのか、を歴史学社会学、小説や映画などの文芸、社会評論等を渉猟して、分析していくものだ。そこで使用されるのが、前述した「歴史を語る者の世代」であり、過去を捉える方法である。

 たぶん既に日本は、世界は「戦後」ではない。ソ連が崩壊し、冷戦が終結した1990年代以降、世界は新しい時代に入っている。そしてトランプが大統領となった今、また時代は動こうとしている。そんな中、戦後は正しく「歴史化」されなければならない。もちろん「正しさ」などという尺度はいつだって変わり得るが、「歪んだ歴史化」が未来に及ぼす影響もまた大きいものがあるだろう。少なくともいまや「日本の戦後」は、世界で共有される対象となっている。明治維新が世界から注目されることはあまりないが、「日本の戦後」は中国にとっても、韓国にとっても、またロシアやアメリカにとっても、それぞれ解釈される対象となっている。だからこそ、日本に閉じこもっての戦後の「歴史化」は危険だと言える。現政権の「戦後レジームからの脱却」に対する歴史家からの真摯な抵抗の書である。

 

「戦後」はいかに語られるか (河出ブックス)

「戦後」はいかに語られるか (河出ブックス)

 

 

○これまでの過去を踏まえ、未来へ向き合う姿勢が大きくゆらぐ。従来の現在―未来の関係が喪失し、したがって現在―過去もいまのままではありえない。・・・歴史には、ときどきこうした決定的な地点が生じ、3.11、9.11、あるいは8.15がそうした地点となっている。この地点を越えることによって、これまでの光景―過去が異なってみえ、それまでの意味合いを異にしてくるのである。・・・「またぎ越し」とは、こうした地点の認識であり、<いま>の再認識と過去の転換の営みである。(P30)

○問題の位相は「私」と他者との関係のなかで把握される。「戦後第二世代」においては、「状況」や「現場」との関係は、かつてのような(一方向の)「共感」ではなく、(双方向の)「関係性」として把握され、自分もその「状況」を共有するという認識が提供される。(P106)

○近年、戦争にかかわっては、「祖父母の戦争」として描かれることが多く、書き手からするとき、戦争の当事者との関係が主題となっている。・・・「戦後」における戦争の解釈ではなく、祖父母―孫の関係として戦争像をつくり出し、父母の時代の動きを消してしまう点が特徴的である。このことは、現政権が「戦後レジームからの脱却」を声高に主張していることと背中合わせになっている。(P119)

○「戦後日本」では、戦争経験が証言、そして記憶の領域と方法から扱われてきたが、いまやそれは歴史化されようとしている。歴史化に前夜の<いま>、戦争の歴史像は、「戦後」の歴史化を伴わなければならない。(P167)