とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

小室哲哉の引退に寄せて

 小室哲哉が不倫騒動のけじめを取って、引退を表明した。「音楽活動を辞める」ということだが、具体的に「引退」するとどうなるのか、よく意味がわからなかった。たぶん、楽曲の提供や他のアーティストへの支援などにより報酬を得ることはやめる、ということで、趣味で音楽を作ったり、部屋の中で歌を歌ったりすることまで自ら禁じる、ということではないのだろう。

 小室哲哉はかつて著作権問題でトラブルを起こしているが、音楽活動を辞めたからといって、無収入になるということではないだろうし、収入がなくなっても、これまで貯えた財産が相当あるだろうから、今回引退したところで生活に困るわけではない。また、どうしても金に困れば、現役復帰すればいい。小室哲哉の才能や経歴があれば、数年間、音楽活動を辞めたところで、コンサートを再開すればまた多くのファンが来場するだろう。

 だから今回の引退は、不倫騒動の「責任」を取っての引退ではなく、マスコミに追い回されることに嫌気が差して、「けじめ」という言葉で「退避」した、ということだろう。妻も「逃げたということ」と言っていたし。きっと心のなかでは、「一般人になれば問題ないだろ。ボケッ!」と言っているような気がする。

 小室哲哉も今年11月で60歳を迎える。数ヶ月早く定年を迎えただけという気がする。だが年金支給まではあと数年。その間、どうやって過ごすか。先日、前の会社の後輩から、「私が今、会社を辞めたら、〇〇さんの会社で雇ってもらえますかね」と聞かれた。即答はできなかったが、ふと6年前、「ある日突然、躁状態がやってきた(その3)」で書いたように、会社を辞めようと思った時のことを思い出した。その時は、心暖かい先輩の「いつでも話に来いよ」という言葉に励まされ、退社をすることなく、定年まで全うした。でもそれ以来、定年に至るまで、「いつでも辞められる」という開き直りの心を持って働いてきたように思う。別の言い方をすれば、仕事に対して真正面ではなく、やや斜に構えて仕事をしてきたような感じ。

 小室哲哉も、妻の看病という苦しい日々が続く中、本業ではないところで非難を浴びて、キレてしまったんだろうなと思う。でもそうやって、小室哲哉を引退に追い込んで、いったい僕らは何を手に入れたんだろうか。あの時の自分のように、マスコミがH氏に見えてきた。マスコミってアスペルガー? 僕らの社会もますます精神病的症状を深めていっているような気がしてならない。