とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ある日突然、躁状態がやってきた(その3)

 (その2)の続きです。
 快調に過ごした日の夜は、溜め込んだサッカーの録画を見て過ごす。次第に眠くなり、布団に入る。と突然、転職すればH氏とこんな不毛な議論をする必要もなくなるという考えが去来した。今週のいくつかの会議を思い出しても企画力では多くの人に負けない自信がある。一級建築士の資格もあり、転職にも有利なはずだ。幾人かの友人や先輩に声をかければ、どこかへもぐりこむことも可能ではないか。そうだ、転職しよう。
 今なら退職金もそこそこ見込める。有給休暇も余っているから、年内は有給で過ごし、年が明けたら療養休暇という制度もある。組合からある程度の補填があるはずだ。それで数ヶ月はもたせ、最後はコンビニのパートでもなんでもいい。H氏の下で理不尽な思いで仕事をするよりははるかに私らしい人生を送ることができる。そうだ、まずは明日は有給休暇だ。
 翌朝早くに目が覚めて、妻に構想を話して聞かせる。妻は「辞めたければ辞めればいい。でもすぐに結論を出す必要はないから、しばらく休んでゆっくり考えたらどうか」と言う。午前中、そして午後には喫茶店に行って話を続ける。「しばらく休んで、機を見て転職先を見つけたい」「絶対、大丈夫だ。自分らしい人生を送りたい」「でも娘には毎日家にいる父親を何て説明しようか」「いや、きっとわかってくれる。いきいきと働く父親を望んでいるはずだ」「本当に転職先が見つかるのだろうか」「最悪、退職金もあるし、来年、娘が就職すれば生活費も今よりぐっと少なくて済む」「娘はとりあえず気丈に振る舞うだろうが、持病の自律神経失調を悪化させないか不安だ」「そろそろ娘が帰ってくる時間だ。何て言おうか」。昨夜からの高揚した気持ちが次第に失われ、混乱してくる。不安と高揚感が入り混じる。どうしたらいいかわからなくなる。
 この状況から抜け出すには、誰かの助けがほしい。10数年前、抑圧的な上司との関係が悪化した際には、課長に窮状を訴えて、翌年の人事異動で配慮してもらったことがある。そうだ、H氏の上司に当たる局長に相談したらどうか。いつ相談する? 来週も休みが続ければ、気がついてくれるだろうか。それまでこの状態を続けていられるか。耐えられるか。すぐにも今の状況や気持ちを伝えた方がいいのではないか。何か変化があるかもしれない。
 9時半過ぎ、帰宅する頃合を見て、妻に電話してもらう。不在。自分ではとても電話をする勇気が出ない。妻と局長の会話を聞く勇気も出ない。しばし外出して10時過ぎに帰り、妻から話を聞く。「明日はなるべく出勤するように伝えてください」と言っていたと言う。出勤できるわけがないと思う。
 それでも妻が内科でもらってきた精神安定剤を呑むと、12時頃には眠りにつくことができた。朝の4時に目が覚める。局長に話すべき内容を頭の中で反芻する。気がつくと6時。娘が6時に起きて朝食にピラフを作ってくれる。早い朝食。気が変わらないうちに7時前に家を出る。
 会社についてすぐ局長室を覗くがまだ出社していない。朝9時から会議。そこへ局長から電話。夕方の面会を約束する。仕事は順調に終え、午後からこれまでのH氏との確執の経緯を書き連ねる。書いてみると意外に大したことがないと思う。もちろん、「Mグループは評判が悪い」「JK課は変!」発言とその後の沈黙が私を「蛇に睨まれた蛙」状態にして、それが深く心を傷つけたことは間違いない。
 だが今回はその傷跡から立ち直り、比較的調子よく仕事が回り始めたときに起こった。調子の良さにいい気になっていたところにH氏が現れ、それにも的確に対応してさらにいい気分になったその直後に事件は起こった。夜中に、「自分の能力も大したもんだ。それならいっそイヤな仕事は退職して、自分の能力を生かした仕事をした方が充実した人生が送れる。できる。そうだ、自分には能力もキャリア(資格)もある。そうだ、いまがラストチャンスだ」と思ってしまった。
 しかも翌朝に早く目が覚め、1時間ほど布団の中にいるうちに、この妄想が形となって、休むという行動をとってしまった。その後の1日の躁と鬱の繰り返し。「できる」と思ってみたり、「娘にはどう説明しようか」と悩んでみたり。まるで心のジェットコースター。そして夜になって誰かに助けを求め、局長への電話。
 極端な躁状態からの不安定な帰還。こんな経験初めて。普通は鬱からさらに落ち込むものだが、なんと躁から始まったので、自己コントロールを失ってしまった。なんという経験。夕方、局長とこれまでの経緯と全貌を話し、「いつでも話しに来いよ」と声をかけてもらった。それにしてもどうしてこんなことになってしまったのか。