とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

科学する心

 池澤夏樹が大学の物理学科に籍を置いていたことは有名な話。いわゆる理系を思わせる本はこれまでも多く書いている。小説しかり、エッセイしかり。本書は「考える人」他に科学をテーマに連載してきたエッセイをまとめたもの。全部で12章あるが、それぞれテーマが明確で、わかりやすく、かつ面白い。

 例えば、第1章は生物学者としての昭和天皇。第3章は「無限と永遠」。第4章は進化がテーマ。第6章では日常の五感でもって自然と向き合うことの重要性を訴え、第10章で超自然を取り上げることと呼応している。第11章は「パタゴニア紀行」。そして第12章では再び進化の世界へ。古生物を考える。眼に進化するまでの時間を仮に100万年としても、地球の歴史を46年として考えればわずか4日間の出来事だ。そう考えれば、全てのことが可能にも思えてくる。

 池澤氏の理系が「科学」なら、私の理系は「工学」。本書で語られる「科学」の世界と比べれば、はるかに人間的な気がする。すなわち文系。でも池澤氏はその理系の極致と文学をつないで見せる。文学、すなわち人間の世界。「科学する心」は常に人間から離れて合理性を突き詰めていくようで、その先には人間性が待っている。池澤氏の面白さはそのすべてを網羅しているところにある。科学する心は、文学する心に通じているのだ。

 

科学する心

科学する心

 

 

○物理学は無限を認めないがそれへの接近には努力する。この場合、無限とは到達すべき目的地ではなく向かうべき方位だと考えよう。……物理学者が測定の精度を上げるのは、いわば無限という目的の点に向かって少しでも近づこうという努力である。行き着くことはできないが前に進むことはできる。(P060)

○ヒトとイヌは違う。そんなことは自明。大事なのは違いの部分ではなく共有されるものの方だ。我々は自分と他を比べる時にいわば差を取って考える。……それは高等生物が個体という形を取っている以上しかたがないことかもしれない。共同体をいくら強調しても、その共同体もまた個体であり、……自分(たち)の優位にばかり目がいく。/それは生命の原理が我々に強要することなのか。……まずは身を守り、その後に子孫を残せ。(P086)

○先が読めないままに高速で走っている。カーブの先が見通せない。この車にはブレーキがない。農業革命がヒトを奴隷化したと言うのはいいが、しかし戻ることはできないし、どこで間違えたのかも今となってはわからない。……同じことが資本主義についても、またグローバリゼーションについても言えるのではないか。我々に未来を洞察する力はない。……この事実をまず認めよう。(P152)

○我々は自然を……すっかり科学者に委ねてしまった結果、個人に属するものとしての自然を喪失した。……休眠状態に置かれた五感を復帰させる。それに合わせて世界を再構築する。……科学は自然を観察し、そこから法則を導き出す。それに対して個人は五感によって自然から何かを引き出す。……五感によって自然から得たものを共有することで運営されてきた共同体もある。人間から自然へ還流されるものもあった。いや、かつてはそちらの方があたりまえのことだった。(P202)

○岩石の基本構造は珪素の格子だが、生物は同じ四価でも炭素の格子である。珪素と炭素は周期表では上下に並んでいる。炭素は水という特異な物質と親密で、この性質から安定しながら変化の力を備えた「生命」という存在形態が生まれた。/生命の原理は有機物を主体とする動的平衡である。膜の中の水で満たされた空間に物質が出入りしながら安定が保たれる。……声明は個体として生存を求め、次世代を生み出すことを求める。生命の本体は個体ではなく利己的遺伝子であって……利己的、というのは「意思」があるということだ。(P250)