とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

80年代音楽解体新書

 BS12トゥエルビ「ザ・カセットテープ・ミュージック」は最近お気に入りの音楽番組で、毎週欠かさず観ている。その出演者、音楽評論家のスージー鈴木の本は、マイナーなのか、市の図書館に所蔵されていない。先に読んだその内容を本にした「カセットテープ少年時代」は他市の図書館から取り寄せたものだった。一方、活字だけで筆者の言わんとすることがどこまで理解できるか、正直あまり自信もない。80年代の曲のメロディーがすべて頭の中で復唱できるわけもない。それでも最新刊ということで、図書館あてに本書の購入をリクエストしたら、なんと春日井市図書館に初めて、スージー鈴木の本が購入・所蔵された。これはいいことではないか。まずは図書館で借りて、購入に値すると思えば、次からは書店で購入すればいい。

 で、どうだったかと言えば、内容は面白い。「転調」の効果、哀愁のソ#、セブンス、ナインス、カノン進行、胸キュン♪ミファミレドなどなど、これまで「ザ・カセットテープ・ミュージック」で語られた内容がしっかりと解説されている。また、伊藤銀次大村雅朗沢田研二大瀧詠一山下達郎など、スージー鈴木が絶賛する音楽家のエピソードも多く語られ、この点も楽しい。

 しかし問題は、本書は音楽サイト「Re:minder」に連載したコラムをそのまま転載したものということ。そのため第1章は、「こんにちは。今回からこちらで連載を始めさせていただきますスージー鈴木と申します」という書き出しで始まっているし、連載当時の筆者の新刊本のPRもそのまま掲載されているし、伊藤銀次を3回連続して取り上げた章では、「『リマインダー』とBS12『ザ・カセット・ミュージック』のコラボレーション企画、80年代に特化したトーク&ライブイベント「リスペクト」第2弾、題して、『Re:spect vol.2―人間交差点伊藤銀次』」というフレーズが各章の頭で繰り返される。やはり五月蠅い。

 2018年の紅白ネタやクイーンの映画「ボヘミヤン・ラプソディ」、さらには沢田研二のドタキャン事件まで取り上げられているから、時代性の保存を意図したのかもしれないが、それなら各回に年月日を付すべき。ということで、総じて、手抜き感がする。内容は面白いだけにもったいない。スージー鈴木の本も、これで9冊目と言う。そろそろネタ切れにならないかと心配になる。でも次の本もまた見てみたい。「ザ・カセットテープ・ミュージック」もまだまだ見続けるぞ。

 

80年代音楽解体新書 (フィギュール彩 ? 1)

80年代音楽解体新書 (フィギュール彩 ? 1)

 

 

佐野元春の同い年の音楽家桑田佳祐です。……「早口」「巻き舌」と言われた、あの強引な歌い方で、桑田は英語的な響きを目指しました。/対して2年後の佐野元春は……音符に対する日本語の乗せ方という、より具体的で汎用性のある方法論によって、英語的な響きを再現しようと試みたわけです。……この2人のパイオニアが起こした「歌い方のイノベーション」が、80年代の日本ロックをぐんぐんと前に動かした―。(P12)

○「♪もし俺がヒーローだったら 悲しみを近づけやしないのに」という「V字回復」「跳躍」「哀愁のソ#」のメロディラインによって、大衆の心をわしづかみにしたのです。/そしてさらに、このフレーズの奇跡的音楽性を高めたものがあります。それはこの部分のコード進行が、「後ろ髪コード進行」だったことなのです。(P28)

○念願かなって、松田聖子の歌詞を担当することになったのはいいのですが、その松本隆の前に表れた松田聖子の声は、『裸足の季節』のあの声とは、違ってきていたのです……松本隆を、そして一億人を魅了した、「初期・松田聖子」のあのハイトーンが失われていく。その厳然たる事実を目の前にしたからこそ、松本隆のあの繊細かつ劇的な歌詞が生み出されたと、私は思うのです。(P66)

○東京人ならではの、ソフィスティケートされた言葉を並べる松本隆と、語感のみを重視して、意味から大胆に解放された言葉を投げつける桑田佳祐の2人が、背中からひたひたと迫ってくる中、「時代なんて決して語んないよ」と、阿久悠の根源価値を揺り動かすかたちで、糸井重里が目の前に立ちはだかった―……1986年発売、河島英五『時代おくれ』。この歌詞は……『時代を語って、時代から疎んじられた阿久悠が、それを逆手に取って……しかし、そういう男がいてもいい時代だろうと、時代に対してメッセージする歌詞』。(P84)

○「いいねぇ・・・生意気なのはいいねぇ、あいつはいいよぉ」……大滝さんは山下君のトンがってるところをやんわりと受け止めていた」……そこには大滝独自の世界があり、曲作りとなれば人を見るときは必ず音楽だけで見る。山下達郎の音楽への熱情を汲み取ったのか、「すごく、良い」と言って生意気に見える後輩を瞬時に認めたのだという。(P161)