とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

フレンドギャラリーたか

 明日10日、父が念願のギャラリーをオープンする。一昨年母が亡くなり、昨年には叔父が引き継ぎ開設していた事務所が閉鎖され、次の活用を考えていた。「ギャラリーなんかいいんじゃないの」と言ったら、「俺もそう考えていた」と言ったのは昨年の夏。12月に一周忌で訪れた時には既にあらかた改装も終わり、オープン案内のハガキまでできていた。オープン記念展示は「中国仏跡巡り」で父が撮ってきた写真が並ぶ。正月には作品の展示も終わった。壮大な風景と造形に笑顔がまぶしい心広がる作品展である。
 父の写真歴は戦争直後に遡る。尋常小学校時代の同級生に誘われ、二眼レフカメラを手に入れ、写真の世界にのめり込んだ。しかし祖父に「仕事と遊びとどっちが大事だ」とどやしつけられ、泣く泣く家業に専念することになる。当時の白黒でサイズもまちまちの写真が今も何枚か残っている。スナップ写真が多いので、父にそんな趣味があったとは知らなかった。家業も紆余曲折あったが、夫婦二人でなんとか乗り切り、65歳になったとき、叔父に仕事を引き継いだ。そしてかねてから心に温めていたであろう写真の世界に没頭する。
 ○○写真協会に入会し、週末ごとに撮影会に出かけて行った。「ミスカメラを追いかけて」とからかったが、何度か入選し、たびたび新聞で名前を見かけるようになった。瞬く間に飾り棚がトロフィーで埋まり、壁が入選作品で埋まっていった。私や妹の子供の行事では学校委託の写真館顔負けの最前列でカメラを構えた。数年前には地元の写真協会支部長も務めた。最近は撮影会の応募は控え、裏方に回ることが多いそうである。若い頃に一度入会していたため、協会本部の会長よりも会員番号が若いというのが自慢だ。
 ちょうど同じ頃、母が発病し、その世話に追われた。身体の具合が小康状態の時にはよく旅行に連れ出した。ヨーロッパ、中国、北海道。行き先も決めずに家を出て、四国や東北を回ったこともある。撮影旅行に病人を連れ回しただけかもしれないが、母も嫌がらず同行していた。そんな母も一昨年の冬に亡くなった。それでも相変わらずカメラ趣味は変わらない。そして今回のギャラリー開設である。
 家業に専念させられた50年の間、どんな気持ちでいたのか。退職後に没頭できる趣味を持てることはうらやましい。母が亡くなり落ち込むかと思ったが、写真が父を支えているようだ。80前ならまだまだ若い。身内ながら「おめでとう&がんばれ」とエールを送りたい。