とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

土方殺すにゃ刃物はいらぬ 雨の三日も降ればよい

 今年の梅雨は長い。先週には晴れて暑い日もあったが、夕方頃には突然の雨が降ったりして、なかなか安定した天気になっていかない。梅雨前線はまだ日本列島にかかったままで、梅雨明けは月を越すのではないかと危惧する。雨が続くと思い出すのが、タイトルに挙げた俗謡だ。「土方殺すにゃ刃物はいらぬ 雨の三日も降ればよい」

 私の家は祖父の代から土建業を営んでおり、子供の頃には「土方の息子」と言われ、からかわれた。とは言っても幼い頃には、「土方」という言葉の意味が分からず、家に帰って母親に聞いた覚えがある。土方とは、今でいう「土木作業員」であり、自営業者であった私の父親は一応、土木作業員(土方)を雇う側ではあったが、実際には自ら重機を運転したし、コンクリートを打設した後の均しを夜遅くまで黙々と作業していることもあった。ちなみに、うちではそうした作業員のことは、人夫(にんぷ)と言っていたように思う。

 また、朝には事務所に人夫さん(作業員)たちが集まり、その日の段取りを打合せ、それぞれの現場に向かうまで、彼らに声をかけられながら一緒にいることもあったし、昼間は経理の仕事をする母親の傍で、請求書などを持ってくる営業員と言葉を交わす母親の姿を見、また母親と色々なことを話した。でも結局、私が跡を継がなかったので、一緒に働いていた叔父がしばらく社長を務めていたが、それも10数年前に廃業した。今は父が、趣味のカメラが高じて、事務所を改装し、「フレンドギャラリーたか」としてオープンしている。

 「雨が三日降り続くと土方が死ぬ」というのはさすがに今ではあり得ないが、東京の山谷地区や大阪のあいりん地区など、その日暮らしの日雇い労働者が生活するような、いわゆるドヤ街などではそういう状況もあったのかもしれない。私が生まれ育ったような地方都市では、土方といっても、農作業の合間に働きに来ている人も多かったし、専業で働く人も日給月給制で、毎日手当を支払うわけではないので、雨が続いたからといって、その日の生活に困ることはなかった。それでも深夜に酒に酔って、大声を出して金を借りに来る人夫さんもいたし、雨が降ればすぐに近くの競艇場へ向かう人夫さんも多くいた。

 コロナ禍で1ヶ月以上も休業を余儀なくされた店舗などもあり、また長雨や豪雨災害で収入が落ち込み、未だに立ち直れない状況の人も多い。「土方殺すにゃ刃物はいらぬ 雨の三日も降ればよい」。雨が続き、この俗謡を思い出した時、改めてコロナ禍での仕事や雇用の必要性を思い起こした。たとえどんなに長く雨が降り続けようが、安心して生きていける。そんな社会にしようと我々の父や祖父は歯を食いしばって生きてきたはずなのに、

今回のコロナ禍で、我々はどれだけ現在の日本の社会システムや制度・政策に救われただろうか。今は逆に成果主義が幅を利かせ、「働かざる者、食うべからず」が当たり前になっているのではないか。安心は社会の基礎のはずなのに。