とんま天狗は雲の上

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「渡り」を禁止する理由

 国家公務員の「渡り」が国会で議論の的になっている。法令で禁止すべきか、首相権限でいいのか。はたまた禁止する必要がないのか。
 そもそも第1種試験合格採用のキャリアの国家公務員は、定年まで勤められるのは審議官や局長等に上り詰めたほんの一握りで、ほとんどは定年前に公益法人や民間等の職を紹介され転職していく。すなわち天下りである。民間でも大手では途中で子会社等へ出向し退職していくので、基本的には同じだ。しかも民間では当然、再就職先の紹介は総務畑の仕事として行われているが、公務員の場合はそれがけしからんということで今回の天下り規制法が施行された。
 ほんとうにけしからんのは、天下り先と退職官庁との橋渡し役として、さまざまな癒着の温床となっているからであり、天下りがいけないのではなく、癒着がいけないのである。そうでなければ、公務員は退職・再就職はできないことになりかねない。
 しかし、再就職の斡旋を各省庁でそれぞれやらせると癒着になりかねないということで、「官民人材交流センター」を設置することとなった。しかしこれでは、再就職の斡旋業務に税金を投入することを認めるようだというので、「センターを廃止して、斡旋自体を禁止にしろ」という声が出ている。
 しかし、再就職が必要になれば、自分一人でも探すだろうし、ハローワークへ行くよりも先に、関係者を頼って交渉するだろう。そんな姿を見れば、関係者に声をかけて紹介の労をとる人間が出てくるのは火を見るより明らかで、結局もとの姿に戻るだろう。結局、何をやっているのかわからなくなる。
 そもそもいけないのは癒着であって、天下りではないのだから、天下りを禁止すること自体が間違っている。
 「渡り」にしても同様で、「渡り」自体がいけないのではなく、わずかばかりの期間勤めただけで法外な退職金を受け取り、さらに転職を重ねることが問題なのだ。
 再就職先の職場環境になじめず、能力が発揮できないとして再転職することもあるだろう。その場合も、自分で転職先を見つけてくればいいが、紹介してもらったらいけないだなんて、その線引きはほとんど不可能だろう。
 問題は法外な退職金である。「渡り」は認めるが、退職金は勤務期間に見合う金額にする。若しくは、公務員退職時の退職金と再就職先の退職金を合算した額を、継続して公務員を続けた場合に受け取れる金額以下にする、といった制限を付ければいいだけの話ではないか。
 そんな検討はとっくにされているのかもしれないが、「渡り」を禁止する、しないという国会の攻防は、いったいどういう意味があるのだろう。本末転倒の議論をしているように見える。