とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

高齢者の事故が多発する時代のリスク管理

 北海道大雪山系トムラウシ山における山岳パーティの遭難事故については、当初、夏山とは言え、不十分な装備で北海道の高山に登る非常識を指摘する声も聞かれたが、次第にガイドの過失や装備のチェック等に対する旅行会社の責任などを問う声が強くなってきた。
 かつて山岳部だった私としては、遭難の危険は常に自己に返ると思っているが、そうは言っても、新田次郎本田勝一などの山岳小説や評論を読むと、リーダーや旅行社の責任ということも考えなくてはいけないのかもしれない。
 ただ、どこまでが当事者の責任でどこからが旅行者やガイドの責任なのかは難しい。かつてアフガニスタンで捕虜になったNPO活動家や報道取材の日本人に対して「自己責任」という言葉を浴びせた日本という国家があり、それを肯定的に報道してきたメディアが、相手が弱者となると一斉に責任者捜しに奔走するのを見ると、冷静な判断を失って、反射的に「自己責任だろ」と叫びたくなる。
 そうこうするうちに、養老SAで高齢者が運転中に心筋梗塞を起こし、花壇を乗り越え、給油中の軽自動車に突っ込むという事故が発生した。山岳事故との共通点は、いずれも高齢者ということである。もちろん、山岳事故の方は高齢者というのは若干若いかもしれないが、20・30代ではなかったことが凍死の危険度を上げたことは否めないだろう。
 我々はついにこうした脆弱な高齢者が多く社会で活動する時代を迎えたのだ。今の高齢者は昔ほど脆弱ではないとは言うものの、若い健常者に比べ生命力に劣り、突発的な発作の危険性が高いことは確かだろう。
 交通事故等に占める高齢者の割合が年々高くなっていることは、高齢者率自体が高くなっていることと比例する話だが、高齢者の死亡原因に占める事故による割合は増加しているのだろうか。自動車や山登りなど、昔の高齢者に比べると活動範囲が広がっていることを考えると、事故による死亡率も上昇しているのかもしれない。
 社会のさまざまな場面に高齢者が進出し活動する時代を迎え、経済的には高齢者をターゲットにしたビジネス・チャンスの拡大という捉え方もあるようだが、若者よりは脆弱な人間を相手にしたとき、ビジネス・プランの設計にあたり、どのような配慮や危険負担を考えるかはリスク管理の重要な要点の一つと言えそうだ。
 一昔前なら、たとえ山で死んでも「好きな山で死ねたら本望だ」で済んだ話がそうは言えなくなっている。そういう時代の到来を我々はどこまで承知してこの時代を迎えようとしているだろうか。責任とリスクの分岐点をどう考えるのか。難しい時代になっている。