とんま天狗は雲の上

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資格試験は何を保証するか

 部下が一級建築士の試験を受けてきた。今年の一次試験は例年に比べて簡単だったようで、「多分大丈夫だと思います。」というので、「どうしてそんなに自信を持って言えるのか。」と聞いたら、今は資格予備校が受験後すぐに仮採点を行い、合否を連絡してくれるのだそうだ。二次試験講座は、一次試験で一定程度の点数が取れていないと受講も認めてもらえないんだそうな。へぇ!
 今年から四者択一だそうだが、そんな試験で良い点が取れたからといって、どうして良い建築物を設計できると言えるのか。製図も昔ながらの手書きで時間内にきれいに間違いなく描けたからといって、それで安心して設計を任せることができるのか。
 他の資格も同様に、一発の学科試験等で合否を決定し、資格を付与することが多い。新聞の広告欄に「家庭菜園士」なる資格のPRが掲載されていたが、いったいそんな資格が野菜の収穫にどんな役に立つのか。いや、これは家庭栽培をする人から金を巻き上げるのに役に立つのか。
 家庭菜園士と言えども、気候や畑の状況によっては、必ずしも野菜の収穫向上を保証することができないように、建築士だからといって必ず安全・安心な建物を設計してくれるわけではない。建築士という資格で設計業務をすることが許されるということは要するに、建物の設計を依頼する人から金を巻き上げるのに役に立つということか。
 実際には建築士は「建築設計を行うに足る技量や知識を有する」という能力の認定であり免許である。営業にあたっては建築士事務所の登録が必要だが、だとすれば能力の認定はどうあることがもっとも的確か。
 私は、内田樹流に言えば、メンターが保証するのが最も適当だと考えている。師匠が「おまえには設計する能力がある」と認定するのである。これでは「剣道5段と師匠に言われた」という森田健作と一緒になってしまうが、そのための機関として、大学や大学院などの教育機関がある。私は大学の専門課程を卒業すれば、自動的に資格を与えればよいと思っている。高卒の人間は、製図士になればよい。職業教育とはそういうものである。
 私も一級建築士は若い頃に取得してしまったが、今、部下と同じ試験を受けたら、合格できるかはなはだ疑わしい。建築士法が改正され、建築士に定期的な講習が義務付けられたが、基本的には最新の情報を提供するという意味であり、能力の保証をするわけではない。
 教員免許についても定期的に試験や講習の受講を義務付ける話があるが、もうこういうのはやめたほうがよい。実務をさぼって試験勉強する時間がもったいないし、高得点を取れる人間が設計や教育という実務に高い能力を発揮できるわけでもない。
 実務で食っていけるかどうかは能力とは別の話である。安全・安心な建物が設計できなければ、相応の収入を得られない。それは実務の中で習得する能力であるし、市場に任せればよい。資格が保証するのは能力なのか、収入なのか。前者であれば、その検定はもっと慎重でなければならないし、後者であればなぜ国家がそれを行うのか、もっと真剣に考えなければいけない。慎重というのは試験を厳しくという意味ではない。試験では永続的な能力は保証できないのだから、もっと意味のある保証の方法を考えるべきということである。