とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

「考える人」2010年夏号

 書店に平積みされたスペース一面に、モノクロの写真に「村上春樹ロングインタビュー」という特集タイトルが踊っていた。季刊誌「考える人」2010年夏号No.33。
 そういえばそんなタイトルの雑誌があることは、内田樹のブログで見かけたような気がするが、新潮社が発行する季刊誌とは知らなかった。特集タイトルに惹かれて速攻で購入したのはまだW杯真っ最中の7月初め。その後、村上春樹のインタビューはそこそこ早く読み終えたが、全304Pはさすがに読み応えがある。
 座卓の上に、枕元に、トイレの友に、家のそこかしこに置いては気が向いたときに読んでいたら、読み終わるのにここまでかかってしまった。
 丸3日かけたという村上春樹インタビューは実はそれほど面白くない。いや、これまでの作品を振り返り、1Q84を振り返るのは興味深いことには違いないが、村上作品の完成度に比べれば、充実度は乏しいと言わざるを得ない。それは仕方のないことだ。
 他にも、内田樹福岡伸一との対談や養老猛司の台湾昆虫採集紀行など、興味深い連載が26本。先日読んだ「団地の時代」の著者、原武史の「レッドアローとスターハウス」も連載されている。こうした連載が積って1冊の本として出版されるのだろうな。面白いものもあれば難しすぎるもの、興味のないものもある。
 ということで、巻末に定期購読申込葉書が付いているが、次号以降を購入することは多分ないだろう。でもいずれも上質なエッセイや評論であることは間違いない。少し前であれば、アサヒグラフや太陽のように、上品な家庭の応接間のラックなどに差し込んであったかもしれない。そんなハイソな雑誌でした。いやさすが。

考える人 2010年 08月号 [雑誌]

考える人 2010年 08月号 [雑誌]

●善とか悪とかいうのは絶対的な観念ではなくて、あくまで相対的な観念であって、場合によってはがらりと入れかわることもある。だから、何が善で何が悪かというよりは、いま我々に何かを「強制している」もの、それが善的なものか悪的なものかを、個々の人間が個々の場合で見定めていかざるを得ない。(P34)
●辺境は国際的である。/東京のように中心にいる人たちにとって、辺境は田舎である。その典型が北京やパリの中華思想で、自分がいるところこそ世界の中心だと思っている。でもそれは巨大になった田舎に過ぎない。人口30万人程度の「日本の」都市から、毎日外国便が飛んでいるんですからね、沖縄では。(P146)
●極小の世界から極大の世界まで、同一の構造がサイズを変えて反復されるというのは、さまざまな宗教的神秘主義に共通する考え方なんですけれど、考えてみたら当たり前なんですよね。極小の世界も極大の世界も、人間がその等身大から出発して、人間の等身大で理解できるモデルを適用することでしか理解できないんですから。というか、人間の等身大スケールで見えるのと「同じ構造」で見えることを人間は「理解」という言葉で言っているんじゃないですかね。(P197)