とんま天狗は雲の上

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滝山コミューン一九七四

 著者の原武史は政治学者である。重松清との対談集「団地の時代」を読んでこの本を知り、期待を持って読み出した。もっとも政治学に関する論文ではなく、自身が経験した小学校高学年時の出来事をドキュメントとして描いたものであることは承知しており(最初は実はフィクション小説かと思っていたが)、エンターテイメント的な期待も持っていたことは事実である。
 「滝山コミューン」とは何ぞや。それはこの本の冒頭近くに次のように著されている。

●私が小学6年生になった1974年、七小を舞台に、全共闘世代の教員と滝山団地に住む児童、そして七小の改革に立ちあがったその母親たちをおもな主人公とする、一つの地域共同体が形成された。たしかにごく一時的な現象ではあったけれども、「政治の季節」は、舞台を都心や周縁部の山荘から郊外の団地へと移しながら、72年以降もなお続いていたと見ることもできるのである。(P23)

 ただ最初はうかつにも、この地域共同体の素晴らしさを称揚するのかと勘違いしていた。そうではなく、本書ではその集団性と高揚感に違和感と疎外感を味わってきた筆者が、あれは一体何だったのかと、当時の教師や生徒などにインタビューを行いつつ、また自らの日記なども振り返り、当時を再構成して問題提起をするものであった。
 筆者は私よりちょうど6学年下に当たる。当時、私は高校生で、「滝山コミューンが成立した」とされる1974年には大学受験の年を迎えていた。滝山コミューンが次第に形成される時期にちょうど高校3年間を過ごしていたことになる。
 本書でも書かれているとおり、学園紛争も下火となった頃であり、浅間山荘事件は筆者が小学3年生、すなわち本書が対象とする時期の前年に起きている。しかし、自由と権利と高揚感が入り交じった時代の雰囲気はあったし、私が1年次の全学年集会は十分政治色に満ちたものだった。
 一方、その6年前の小学校は戦中生まれの教師が自信を回復しはじめ、管理教育につながる権力を振るい始めた時期になる。5年・6年時の私の担任は、まだ卒業後間がなく、自由と意欲にあふれた指導を行い、私などは非常に慕っていたが、確かにこうした雰囲気のなかで全生協(全国生活指導研究協議会日教組の自主教研の中から誕生した民間教育研究団体)による「学級集団づくり」が行われれば、「滝山コミューン」のようなものが出現したとしても不思議ではない。
 「ゴミ班」を生む「点検」は確かにその後のイジメにつながっただろうし、筆者が受けたと言う「追求」は浅間山荘事件の「総括」と同質だ。小学生高学年によるさまざまな生徒活動は、しょせん教師の指導の中で躍っている疑似民主主義体験である。だが、その経験が全く意味がないわけでもないだろうし、筆者は否定的ながら、絶対間違っていると断定しているわけでもない。
 「滝山コミューン」はソビエト集団主義の一つの表れとして行き過ぎた面があることは確かだが、その功罪や要因等が分析し切れているわけではない。一つの歴史的事実が材料として紹介されているに過ぎない。その点で本書に描かれた状況をどう捉えたらいいのか、私自身の中では、いまだにすっきりと整理ができていない。本書を読んだ多くの読者にとっても、自分の経験に照らしつつ、いろいろなことを思い起こさせる1冊ではないだろうか。
 同時に、本書を読みつつ、民主主義とは何だろうか、ということを思った。「民主主義=善」のような教育を我々は受けて育ってきたが、本当にそうだろうか。しょせん民主主義は社会統治の一手法に過ぎず、目的的に最大幸福や最小不幸を導き出すわけではない。反対者を無力化するに最も整合的な手法に過ぎないのではないか。
 そうした状況に無批判のまま、民主主義という名目のもと、小学校という限られた社会の中とは言え、集団的地域共同体が形づくられていった。そういう点で、政治学的にみて筆者の関心を呼んだのだろう。
 それにしても、こうした状況に対して、一人中学受験をめざし批判的言動を行う少年(筆者)は、この集団の中で特殊な存在だっただろう。だからこうした認識や批判が生まれたわけが、ほとんどの生徒はこの状況が当たり前と肯定的に捉えていたはずであり、それがその後の人生や現在の社会(彼らの多くは今まさに社会の中核的な立場にある)にどう影響しているのか。私にはその点にこそより強い興味が湧く。
 私には、団塊の世代とそれを受け容れた共犯の世代が、今の社会の迷走と混乱を引き起こしているような気がしてならないのだが、どうだろうか。

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

●二十の旗が林立する中で、私は底知れぬ疎外感に襲われた。/それでも歌っていくうちに、うねりや地鳴りに抵抗しようとする個が崩壊し、二百人近い集団に飲み込まれてゆくような、全く別の感覚がじわじわと押し寄せてきた。理性としては認めなくないのに、私もまた心地よい一体感を味わっていたのである。(P243)
●こうして現れた「民主的集団」、すなわち「単一の意志とちからをもった単一の集団」こそ、私が「滝山コミューン」と呼ぶ地域共同体なのであり、私もまた合唱を通してこのコミューンに属していたのである。(P245)
●ここで問題にしたいのは、自らの教育行為そのものが、実はその理想に反して、近代天皇制やナチス・ドイツにも通じる権威主義をはらんでいることに対して何ら自覚をもたないまま、「民主主義」の名のもとに、「異質的なものの排除ないし絶滅」がなぜ公然と行われたのかである。(P248)
●自由よりは平等、個人よりは集団を重んじるこのソビエト型教育は、偶然にも同質的な滝山団地の環境と適合的であった。(P326)
●2006年12月に教育基本法が改正される根拠となったのは、GHQ連合国軍総司令部)の干渉を受けて制定されたために「個人の尊厳」を強調しすぎた結果、個人と国家や伝統との結びつきがあいまいになり、戦後教育の荒廃を招いたという歴史観であった。だが果たして、旧教育基本法のもとで「個人の尊厳」は強調されてきたのか。問い直されるべきなのは、旧教育基本法の中身よりも、むしろこのような歴史観そのものではなかったか。(P327)