とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

大震災後の社会学

 東日本大震災後、様々な書籍が発行された。被害の惨状を記録するルポルタージュ、減災・防災対策を主張するもの、原子力行政や原子力に群がる権力・利権構造を告発するもの、メディア論、社会批判、政治論。もちろんそれらのうち個別に興味があるものについては随時読んできたが、社会学の立場から総論・網羅的に論ずる書籍ということで興味を持って手に取った。
 本書での切り口が全てなのかどうかわからないが、序論で東日本大震災後に留意すべき点として、(1)ミクロな現実の精査、(2)マクロな社会システムの分析、(3)社会的コミュニケーション回路、(4)地域コミュニティ、(5)ボランティア活動、(6)世界問題としての大震災の6つを挙げ、これに応える形で、7章に渡って分析し論じていく。
 「第1章 大震災と社会変動のメカニズム」は、「三層(重層)モラルコンフリクト・モデル」に当てはめて、震災後の日本の社会状況を見るもの。ここでは、従来、グローバル世界(G)、国内エリート層(N)、一般民衆(P)の中にオルトエリート(A:新興勢力)が生まれ、AがGやNと結びつくことによって社会変革が起きてきたものが、GもNもPも弱体化している状況化でAも伸びることができず全体として漂流化していると断じる。
 「第2章 グローバル世界のなかの東日本大震災―リスクと情報」では、日本から適切・的確な情報が発せられず、世界に不信感をもたらし、「日本ムラ」を形作ったことを批判している。
 「第3章 東日本大震災にみる日本型システムの脆弱性」では、「自民党型分配システム」に「日本的経営」「日本型福祉社会」が組み合わされて推進されてきた「日本型システム」の持つ問題が前景化してきたことを指摘する。「日本型システム」が悪いのではなく、時代の変化に合わなくなってきた。それが大震災により露呈したという指摘だ。
 第4章では地域経済施策において、「選択と集中」の理念と「セーフティネット」という継続されてきた施策とが輻輳し、効果を挙げていない現状を指摘している。さらに第5章では、大震災で見られた災害ボランティア活動の現状と批判言論等を取り上げ、検証している。
 第4章の地域経済施策と第5章のボランティア論は私自身あまり知識がなく、なるほどと読むだけだったが、「第6章 日本の防災システムの陥穽」は関心もあり、また論じる視座も興味深い。まず、現在の防災行政は、「想定主義」と「ソフト対策重視主義」だと批判する。想定がないと始まらない。想定外にどう対応するかが考えられていない。また、ハード=公共事業批判の末のソフト重視に陥っている。これは大震災後においてなおひどくなった感がある。さらに車避難を教条的に批判する「精神主義」に陥っていないかと指摘。また、帰宅困難者問題や避難弱者問題に拘泥し、プライオリティの問題に対して悪しき「平等主義」に陥って合理的な判断や対策ができていないという指摘も興味深い。
 第6章はメディア論。風評被害に対する考察は興味を惹く。そしてまとめとしての終章。「最近、工学系の研究者から『resilience(レジリエンス)』という言葉を聞いた。」(P325)と書かれているが、これって「災害の住宅誌」ですよね。災害を受け入れて暮らす社会、諦めではなく、天譴論でもなく、理性的に柔軟に対応できる社会。そうした社会システムを提唱して「終章 日本の明日―自己快癒力(resilience)をめざして」は締められている。

大震災後の社会学 (講談社現代新書)

大震災後の社会学 (講談社現代新書)

●結局、東日本大震災後の日本/世界は、国内が不安定化しているにもかかわらず、代替的な適切な協力関係を構成することができず、漂流状態にあるのが現状といえる。(P66)
●問題は、「日本型システム」が擬似的に実現させていた、既存の国民統合の論理が破綻する中で、「日本型システム」が「それなしに国家を運営することができる」としていた「政治」や「国家」の欠如の問題が前景化しているということだろう。・・・その視点から考えたとき、恐ろしくシンプルで原理的な物事が、日本ではあまりに不分明なままであったことに驚かされる。たとえば「国民」とは何か。・・・また「国家」とは何か。・・・さらに、「国民の合意」とは何か。・・・「日本型システム」の最大の罪とは、こうしたシンプルかつ原理的な問題をめぐる議論を、しないままで済ませられるという幻想を長くもたらしたことではないか。(P153)
●帰宅困難の問題は、「帰宅に困ること」それ自体が問題なのではなく、「災害時における集合的移動行動」による混乱とその結果としての「家族・親近者との再会問題」に帰結する。・・・そもそも帰宅困難が問題になるという以上、当該都市域における災害被害は軽微であるということが前提になり、その時点で本質的な問題ではないともいえる。・・・そもそも今回の地震帰宅困難者が大きな問題とされていること自体が、日本の防災対策においてプライオリティの欠如という課題が提示されていることに他ならない。(P265)
●「想定」をして備えるという想定主義、「避難」の課題を人々の危機意識の欠如に帰結する精神主義、防災行政における平等主義。先述してきた課題は、いままでの防災対策を基本的に否定しないという無謬性によって支えられ、基本的に現状の防災システムを維持していく方向性にある。また、・・・大災害後独特の社会心理もこれに拍車をかける。(P268)