サッカーを見るとその国の政情や文化が見えてくる。これは、慶応義塾大学大学院博士課程(政治学)卒のサッカージャーナリストの後藤健生氏がいくつかの著作で示してきたことだ。そしてそれをアフリカで実践したのが本書。アフリカの多くの国でイングランドのプレミアリーグは、自国のリーグ以上に国民の関心を集めている。英国人の筆者はそれを最大限利用して、アフリカのサッカー関係者を取材し、そこから政治指導者や翻弄されながらも力強く生きていく庶民に近付いていく。
取り上げられる国は、エジプト、スーダン、チャド、ソマリア、ケニア、ルワンダ、コンゴ民主共和国、ナイジェリア、コートジヴォワール、シエラレオネ、リベリア、ジンバブエ、そして南アフリカ。位置さえわからない国も多いし、民族紛争のニュースで聞く国名は多いが、どこがどういう状況にあるのか、区別がつかない。
それでもサッカーが何より愛され、利権の対象となり、政治や権力に利用されていることは変わらない。それでも給与が何ヶ月の支払われなくても協会の仕事を続ける人がおり、サッカーを通じて青少年教育を続ける人がおり、サッカーを通じて夢見る人々がいる。
ジャスミン革命に始まる「アラブの春」の原動力がそこにあったのかどうか。エジプト以外の北アフリカの国々は取材対象となっていないため定かでない。あれは欧米に利用されたグローバリズムの輸出に過ぎないという意見もあるが、部族紛争の陰で苦しむ避難民を見れば独裁政権の酷さは明らかだ。既存の政治体制を牛耳るカバ世代に代わり、新しい価値観を身に付けたチーター世代の時代になったとき、アフリカはどう変わるのか。意外にその日は近いような気がする。
- 作者: スティーヴブルームフィールド,実川元子
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2011/12/10
- メディア: 単行本
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●南アフリカ大会出場をめざすことで、エジプト国民は一つにまとまるはずだった。ところが国民の団結力は政治体制に利用されただけだった。エジプトの失業率は高く、とくに若年層の率は信じられないほど高い。・・・国内の、とくに若年層の間には一触即発の怒りと不満がくずぶっていて、サッカーだけがそのはけ口になっている。(P52)
●ナイジェリアでは自国リーグに関心を持っているサッカーファンはほとんどいないように思える。・・・サッカーファンはスタジアムに足を運ぶのではなく、テレビが放映する衛星放送のボルトン対トッテナムの試合を観るためにバーに行く。「選手も本当はプレイするよりもバーで観戦したいんだと思うよ」とアズカは認めた。・・・「あれはサッカーじゃないね」と僕は言った。「あそこで行われているのは政治だ」。アズカはただ頷いて、黙って運転していた。(P172)
●代表選手たち、そして突出した一人の選手はつねに「伝説」として扱われる。内戦が続く国の暗黒時代にあって、ドログバとレ・ゼレファントは、政治家たちがぶち壊した「国としての一体感」を人々に与えてくれた。(P222)
●だが障がい者たちにとって生活はまだ厳しい。仕事に就いている人はほとんどおらず、多くが物乞いで生計を立てている。・・・シエラレオネの選手たちと同様、ここの障がい者たちもヨーロッパで活躍しているスター選手たちの名前で呼び合う。プリンスのあだ名はインテル・ミラノにいるカメルーン代表選手のエトオだ。「僕はほとんど彼並みにうまいんだよ」。(P250)
●CECAFAカップはアフリカ最弱のサッカーチームの間で行なわれるサッカー選手権だ。・・・だが力は劣っていようが、またケニアのサッカーファンから関心を寄せられていなくても、ソマリアのコパニのゴールやエリトリアの勝利後の喜びを見ていると、この選手権が彼らにとってどれだけ重要であるかがわかる。エリトリア代表チーム・・・最終的には彼らは国際試合に出場できる代表選手である特権を利用して、自国から永遠に逃げ出すことができた。・・・サッカーの試合が行なわれている90分間、ソマリア国内では何も事件が起こらなかった。(P310)